15年間、「定点観測」したのは、新宿中央公園だった。
観測対象は、ホームレスである。
バブル崩壊後、当時まだ短編映画のカメラマンをしていた著者(現フリーライター)は西新宿に通い始めた。この公園を中心に都内の300人以上のホームレスを取材するために。本書にはそのうち100人分の「現在に到る」までの来歴が載っている。
日雇いの仕事で稼ぐと、お金は酒やギャンブルに消え、なくなれば借金。家族にはそっぽを向かれ、行き着く先は路上の人。
これが、これまでの典型的な「最底辺」への落ち方だった。全体に低学歴の人が多く、最後は自らホームレスになろうとしてなったフシもある。学歴はともかく、酒やギャンブルへの依存や社会保険未加入など自業自得と言われてもしかたないところも目立つ。
ところが、今は自分の失策ではない、不可抗力でホームレスに転げ落ちる人が多いという。
きっかけは上司との軋轢
東大卒の高学歴者や、元一流企業社員、元経営者など「勝ち組」だった人が少なくない。しかも、酒やギャンブルと無縁の人も多い。かつては全身垢だらけの人が大多数だったが、今は、「いつでも働きに出られるように」と、ヒゲを毎日剃るなど身ぎれいにするホームレスが増えた、と著者は言う。
名だたる上場企業が、正社員の早期希望退職者を募集する「年齢条件」を、「50歳以上」から「40歳以上」に低く設定するなど、なりふり構わぬリストラ策に出ている。
いいように切り捨てられるのは非正社員だけではない。正社員も今や「末端」である。しかも、不慮のケガや病気といった災厄は誰にも予告なく降り掛かる。
すべての人にとって収入が完全に途絶える危機は、すぐそこにある。
となれば、不可抗力でホームレスに「転げ落ちてしまった人々」の失敗から学ばなくてはならないだろう。
例えば、本書に上司との軋轢がきっかけで転落した人が登場する。
丸の内に本社のある大手鉄鋼メーカーに勤務していた男性。仕事はユーザー企業の工場ラインなどのシステム設計だった。月の残業時間は150時間と多忙だったが、それなりに充実していた。
しかし、ある時、直属の上司にソリの全く合わない人物が配属され、やる気はみるみる減退。会社に自分の居場所を失い、約20年のサラリーマン生活は39歳の時に終わった。
独身で、そのまま田舎に戻り就職したが、給料は低く退職金をくいつぶす。その後はサラ金の借金地獄に陥る。金の使い道など詳細を本人は語ろうとしないが、浪費が続いたのだろう。
最後はにっちもさっちもいかなくなり、親に迷惑をかけてはいけないと東京へ舞い戻る。サラ金により乱れた生活リズムを戻すことができぬまま街を漂流したようだ。
職場の人間関係は本当に難しい。
相性が合わない人とチームになっての仕事ほど苦痛なものはないだろう。戦略の立て方や進め方、価値観が異なればやりにくいし、余計な消耗も多い。ソリの合わない上司からの評価が低くなれば、給料も減るかもしれない。
別のケースでは、部下のミスの責任をとって大手企業を退職したホームレスもいた。
いずれも不幸な出来事としか言いようがない。
しかし厳しい言い方かもしれないが、社内での基盤がいささか脆弱だったのではないか。身近なスタッフと良好な人間関係を構築したり、いざという時に頼りになる社内外の人脈を作ったりという、転ばぬ先の杖を作る努力はしていたのか。
相談し信頼できる同僚がいれば退職は回避できた可能性もある。
何しろ「嫌な上司」や「アホな部下」はどこにもいるのだ。そのたびに誰かが会社を辞めねばならないのは、ずいぶんおかしな話である。
もうひとつ、本書を通じて「社内基盤」の弱さとともに、会社組織でのポジションを失ってしまう遠因と感じられるのが、社員としての「影の薄さ」である。
著者は次のように指摘する。
〈ホームレスには何事も一歩引いて譲ってしまう人が多く、他人と争ってまで強引に仕事を得るような人は少ない〉
〈おとなしい性格で、人を押しのけてでも生きていくのが苦手な人や、人付き合いが苦手な人などが、非常に生きづらい時代である〉
つまり、〈無口で少し変わり者を許容しない〉のが現代だ、と。
以前なら、無口でおとなしくても、普通に仕事ができれば共同体の一員として認められた。しかし今では、キャラが立ってない人、押しの弱い人、他人とのコミュニケーションがとれない人は、存在価値が小さいと評価され、共同体からつま弾きにされてしまうことさえあるのだ。
理不尽極まる。彼らは影が薄かろうと、働く意欲はあるのだ。前述のように、小ザッパリした身なりで社会とのつながりを失うまいと懸命な人が多いのである。
にもかかわらず、職は与えられない。住所不定者は生活保護も申請できない。
「女性問題」という落とし穴
会社以外にも、意外な落とし穴がある。「女性問題」である。
そのひとつは、離婚。酒に溺れる夫は妻から三行半をつきつけられ、「仕事を失い、妻子も養えない俺はロクデナシ」と、「女の一人も御せない」自分に完全に萎えてしまう。
ふたつめは、独身率の高さである。聞き書きした100人中、未婚者が37人いた。
著者は、未婚か既婚かが、「ホームレスに堕ちてしまう人と、一般社会に留まる人を峻別するカギ」のひとつと指摘する。なぜ未婚者が「危険」なのか?
結婚や育児には相手の人生を引き受ける覚悟とエネルギーが必要、と考える著者の目からすると、新宿中央公園などをねぐらとする人々の彼らにはその覚悟やエネルギーが希薄な人が多い、という印象を強く受けるそうだ。
〈彼らは土壇場で、それ(結婚や育児)に立ち向かったり、踏みとどまろうとしなかった人たちのような気がする。むしろ、それを回避したり、結論を先延ばしにしてきた人たち〉
人の人生を引き受けるなど真っ平ごめん。
「面倒臭い」と、けじめなくズルズルとした生活リズムがホームレスになった原因のひとつとすれば、未婚率が異様に高い現代の30代以降の男性は、もしかして「ホームレス予備軍」か。
いくら大企業に勤務していようと、結婚や離婚など、女性を巡る態度や意識において「腰が引けている」のならば、“ホームレス指数”が高いといわれてもしかたがないかもしれない。
著者は言う。
〈ホームレスになる確率を少しでも下げるなら、人生のモラトリアム期間を短くする工夫が必要だろう〉
実家がセーフティネットにならない時代
最後に、もうひとつ。本来、ホームレスにならなくてもすむ人が転落してしまう想定外の理由があった。
それは、実家問題である。
本書に登場する、リストラや三行半を宣告されて身寄りのないホームレスの多くは、異口同音に「実家には世話にはなれない」と言う。例えば、実家を継いだ兄の一家、嫁や甥、姪が住む空間に、自分のような落伍者が入っても肩身の狭い思いをするだけだ、と。
確かに迷惑者だが、「ちょっとだけ緊急避難を」と彼らは言えない。
同時に迎える実家側も、かつては居候や出戻り、食客などを含め「家族」とみなす余裕があったが、今ではそんな精神的なゆとりは失われたことに著者は気づく。
日本人の家族観や絆が変容する中で、「最悪の場合は、実家に戻る」というは機能しなくなったというのである。
仕事が忙しい。郷里が遠い。
とかく帰省する回数は減り、親・兄弟と疎遠になる人も多いが、肉親とのルートを絶えず良好なものにしていくことが、いざという時のリスクヘッジになるのではないか。
実家にも頼れない今、最後の最後は、やはり路上の人になるしかない。しかし……。
本書によれば、近頃は、ホームレスに無銭飲食された店は彼らが身に付けるアクセサリーを取って、それをお金にするらしい。警察に突き出してもお金は戻ってこないからだ。
また、その警察も無銭飲食の確信犯と知りつつ、ろくな調書もとらず解放することもあるらしい。すべてを刑務所に入れたらたちまち満員になるからである。
食事とねぐらの確保はかくも難しい時代となった。本書には「じっと死を待つ」というホームレスも多かった。
育った家庭や、勤めた職場、再就職の壁など「生きるための条件」がほんの少し悪いだけで人はつまずく。
〈不況などで職を失い、不本意ながらいまの境涯に堕ちた人が大半である。その彼らを救うことのできない社会システムの不備を訴えておきたい〉という著者の言葉は誰にとっても他人事ではない。