Nagoya、Kobe、Himeji、Gifu、Awaji yumebutai

2011年3月31日 星期四

Man gets SCUBA gear and searches for his family...and wins!


Hideaki Akaiwa

Man is in Japan. Man lives through earthquake and tsunami. Man gets SCUBA gear and searches for his family...and wins!
居於日本宮城縣石卷市的潛水好手Hideaki Akaiwa在海嘯時,為搶救妻子和母親,不惜冒險親自下水展開拯救行動,成為英雄人物。
據報道,發生海嘯時,赤岩在距離石卷市數英里處工作,為救已相識20年的愛妻,他決定不等候救援人員到場,穿上潛水衣和其他潛水用具,潛入已水深十呎的災場,穿插於已倒塌的電線桿和建築物,避開已陷入水中的車輛,返回已被毀的家園找到妻子。他說:「洪水很冷又混濁,令人感到害怕,我要游200碼才找到妻子,由於很多廢瓦殘片在飄浮,過程很艱辛。」

繼續搜尋生還者

不過,赤岩對母親的安危亦憂心忡忡,連續數天在各庇護所尋母,卻失望而回後,決定重施故技潛水救母。終於赤岩返回被洪水浸淹的舊居,在二樓救出已等待了他四天的母親。他說:「母親被洪水所困,顯得十分害怕。我不知道她的下落,找到她鬆了一口氣。」不過,赤岩的拯救行動沒有就此結束,他繼續搜索生還者。

2011年3月27日 星期日

核災來時

原発ジプシー


「福島50壯士」http://en.wikipedia.org/wiki/Fukushima_50

福島第一核電廠遭強震和海嘯重創後,發生泄漏事故,東京電力公司針對800多名工作人員進行撤離時自願或被要求留下來的50位繼續在核電廠內進行緊急維修作業者,被封上「福島50壯士」。

後有更多的人回到現場,總人數增加到180。他們以50人為一組的方式值勤,每10至15分鐘輪流進出廠房。

進入高危險區的人員包括年輕人及外包的人力派遣,其中兩名腳採高輻射積水的員工剛好就是年輕的承包商員工。

他們大多是自願加入這項被一些核子專家貼上自殺任務標籤的重責大任?
他們充分了解執行這項任務所須面臨的健康風險,卻義無反顧重回範圍不斷擴大的淨空區?

英國前首相邱吉爾(Winston Churchill)的名言:
「從來沒有這麼多的人對這麼少的人虧欠這麼多。」
(Never…was somuch owed by so many to so few.)

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「決死隊」1日2食の劣悪環境 一時は水も1・5リットルのみ
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110328/dst11032814430035-n1.htm


身體被看不見的發光體照射著
直到紅色警報器不停地響為止

在黑暗的世界裡 戴上面具
流浪的吉普賽 流浪的吉普賽

不知名的 一日工
細數著 刻印在身體刻的傷痕
透過玻璃牆 窺視著地獄
流浪的吉普賽 流浪的吉普賽

來到海邊的小鎮
為了混口飯吃 跟著一起排隊求職
薪水實在是麥殆 不過哀拼性命
流浪的吉普賽 流浪的吉普賽

紅紅的夕陽 輝映在海面
永恆的波潮 湧上海濱
巨大的影子 是惡魔的禮物
流浪的吉普賽 流浪的吉普賽
 
見えない光 体に受けて 
赤いブザーの鳴り響くまで
闇の世界で 仮面をつけて 
旅するジプシー 旅するジプシー

名前知らない その日限りの 
体に刻む 傷を数えて
ガラスの壁に 地獄を覗き 
旅するジプシー 旅するジプシー

海辺の町の小さな宿に 
仕事を求めて 流れてついたよ
うまい話か それも命取り 
旅するジプシー 旅するジプシー

夕日は赤く 海輝き 
久遠の波の寄せる浜辺に
巨大の影は 悪魔の贈り物 
旅するジプシー 旅するジプシー


福島第1原発:英雄でも何でもない…交代で懸命の復旧作業

~我們不是英雄,我們只是輪流進出電廠內最危險的區域搶救核電場的吉普賽~

「職場安全(輻射量),為何不好好把關?」簡直是叫我們「『去死!』的同意語」。

營運福島核電廠的東京電力公司(03月26日) 表示,3名工人前天在3號反應爐的發電渦輪機房地下室更換電線時,不小心踩進地下室的積水,其中有2名沒穿上長靴,腳泡在足高輻射積水中。

在東電外包底下做事的臨時工批判東京電的同時,無力地悲歎「上頭說什麼就得照著做」。

 「東電不是說了『大丈夫』沒問題?」

在1號機地下室負責配管線的外包工人(37)無法隱藏心中的怒氣,憤怒地說 :

「簡直叫人去送死,給再多的薪資也不想幹了」。

踩進高輻射積水中的三名工人,其中一名是東電外包底下的臨時工。
電力公司像是一座金字塔,賭性命的活,都是最底層的外包商招來的臨時工。
他們就是「核能吉普賽」,流浪到日本全國各地的核電廠從事定期檢修工作。


『核電吉普賽」是日本自由作家 堀江邦夫於1979年發表的文藝作品,該書是作者記錄在核電廠工作期間的紀實作品。

工資的搾取

外界以為勞工可從承包上處獲得日薪15,000日元,事實上到勞工手上只剩下5,500日元,剩下9,500日元都入了仲介的口袋。

勞動災害

電力公司最怕惹上勞工職災。
筆者在核電廠服務期間,曾遇到需花3週復原的職業災害,醫療費以及修養期間的薪資補償都轉嫁給外包商負責。

員工被輻射照射

核電廠員工預防接受輻射照射的意識尚低的年代,如果人手不足時,省掉輻射管理教育,直接把工人送入輻射管理區域,讓員工在輻射照射下工作。
在核電廠工作的人,擔心自己因為長期暴露在高輻射量的危險環境下,會生出畸形的孩子。

書中還舉出這樣的例子:在核電廠工作前生下的小孩都很健常,在核電廠工作後,生下的少了手指頭,因此嚇得趕快換工作。
「日当40万円出すから」 原発作業員 確保に躍起

「福島第一核能發電廠」的安全性仍然岌岌可危。搶修工作是在和時間搏鬥,因此『確保福島壯士人數無虞』變得格外重要。

東京電力的承包商開始在各地敲羅打鼓,招攬更多的『福島壯士』加入搶救核電廠的行列
有些『福島壯士』被告知可領取比法定薪資還高的日薪
「日薪40萬日元,你來不來?」
福島縣來到埼玉縣避難的核電場工人 藤田龍太 (27)的老同事透過手機邀他加入『福島壯士
大家都知道「福島第一核能發電廠」給高額的薪資所伴隨的是高度的生命風險。
一位負責配電纜的友人告訴我「我可能又被輻射污染了」。
目前長子年僅三歲、 他的妻子 (26) 肚子裡又懷了新生命,於是在猶豫中拒絕了高薪誘惑。
藤田說「五十歲以上的老員工好像都到核電廠就位,為錢賭生命去了。不過,我還年輕,輻射很可怕。我再也不想到核電廠工作。」
另一位東電承包商的工人 (41)被告知因人手不足,四月起要到「福島第一核能發電廠」工作。
這名工人的主要任務是,使用儀器確定現場是否適合工作。
從核電廠的現狀來看,這項可說是『危險最前線』的工作。
「這份工作拿不到特別獎勵金,卻是高風險的的工作。要是拒絕,恐怕會被辭頭路,等於是不得不吞下去的賣命工作。」
據田村市 一名男子(58)說,有人打電話給他友人的父親,一位在「福島第一核能發電廠」工作的工人,「我們在找住核電廠附近, 50 歲以上的工人。比一般工人會付更多的津貼,拜託幫忙找一下。」

2011年3月24日 星期四

被災者支援、「力になろう」と思っちゃダメ!

こういう時というのは、何を、どう書いたらいいのか、実に悩む。

 実際に被災地にいるのなら、その場で起こっていること、その場の空気、そこで感じることをありのままに書きつづることもできる。

 だが、今、私がいるのは被災地ではない。少しばかりの募金をしたり、できる限りの節電をしたり、必要最低限のものしか買わないようにしたりと、今、できることを、可能な限りやってはいるが、それだけでしかない。

 温かいご飯を食べ、暖かい寝床で寝ているくせに、「被災者のために〇×すべきだ!」などと、勝手な思い込みで発信することはやりたくない。だって、それはある意味、偽善であり、おごりじゃないかと思うからだ。

 であればとばかりに、「被災者の方たちが少しでも元気になる原稿を!」と願ったところで、実際に被災している多くの方たちが、このコラムを読める環境にあるとは到底思えない。

 もどかしい。でも、何かやりたい。自分なりに。今できることを──。

被災地にいない人に知ってもらいたいこと

 そう思うと、余計に何を書いたらいいのか分からなくて、パソコンのキーボードをたたく指が重たくなる。

 で、散々悩んだ結果、今、このコラムを読める環境にいる人、「何かやりたい」と思っている人。そういった方たちが、今後(あるいは既に)、被災者の方たちの力になるべく、手を差し伸べた時に、少しでも役に立ちそうなことを書こうと思う。

 この先、日常を取り戻すようになればなるほど、被災した方々は、いくつもの厳しい現実と向き合うことになるだろう。とりわけ今回の被災者には、高齢の方たちが多いように見受ける。この先復興していくうえで、おじいちゃん、おばあちゃんたちには、まだまだ元気に頑張ってもらわなくてはならないし、元気でいてほしいと心から願う。

 そこで、被災した高齢者の方たちに私たちが接した時に、おじいちゃん、おばあちゃんたちを元気づけるために知っておいた方がいいことは何か。これまで行われてきた高齢者と地震、あるいは強度のストレスが高齢者に及ぼす影響などの調査結果を基に、あれこれ考えてみようと思う。

 調査結果がベースになるため少々読みづらいかもしれないけれど、少しでもこの先思い出して、支援に役立てていただければ幸いです。

生きる力は若い世代よりも高齢者の方が上

 まずは、今回の震災がもたらす甚大なストレスに対処する力(=生きる力)が、高齢者と若い世代とで違いがあるかどうか、について考えてみよう。

 地震が発生してから4日後の3月15日には、大津波で壊滅的な被害を受けた岩手県大槌町で、津波で流された民家から、75歳の女性が救出された。地震発生から約92時間ぶりのことだった。また、同じく大津波で甚大な被害を受けた宮城県石巻市門脇町では、9日ぶりに80歳の女性と、16歳のお孫さんが救出された。

 どちらも被災者の生存率が大きく下がるとされる「地震発生後72時間」を大きく過ぎた中での生還で、奇跡に勇気づけられるのと同時に、「高齢で体力的に本当にシンドイ中、踏ん張ったのだなぁ」と頭が下がる。

 恐らく助けに向かった息子さんや、一緒にいたお孫さんの存在が大きな支えになったのだろうが、そこで本人が「どうにかして踏ん張って生きよう。生きたい」と思わない限り、奇跡は起こらない。

 想像を絶するような困難に遭遇した時に、「どうにかして乗り越えよう。きっと乗り越えられる」という気持ちを本人が持てるかどうかは、非常に大切である。

 この気持ちは、ストレス対処力(生きる力)として何度もこのコラムで取り上げてきたSOC(sense of coherence=首尾一貫感覚)である。それは、「どんな状況の中でも、半歩でも、4分の1歩でもいいから、前に進もうとする、前向きな力」と置き換えることができ、すわ困難な状況に遭遇した時に、困難を乗り越えようと踏ん張る強さだ。

一般的には、若さ=生きる力、というイメージがあるが、実際には高齢者の方が若い世代よりも、生きる力が高いことが分かっている。

 国内の20代以上の成人男女を対象とした全国調査では、生きる力の指標でもある、SOC得点で比較した場合、年齢が上がるほど得点が上昇していることが認められているのだ(NHK日本人のストレス実態調査委員会・山崎喜比古ら調べ)。

 20代のSOC得点は40.3点、30代で41.1点であるのに対して、60代は47.3点、70代以上も47.3点で、なんと7ポイントも高齢者の方が高かったのである(満点は65点)。

 また、アメリカの独居高齢者、イスラエルの退職女性、カナダの65歳以上の高齢者を対象とした海外の調査結果でも、若い世代の得点を上回った。

 そもそもSOCは、人生上にあまねく存在する困難である人生の雨を、傘を何本も使うことで歩き抜き、雨上がりの太陽に照らされることで高められる力だ。

 草木が雨に当たり、太陽に照らされることで、幹を太め、枝を増やして成長していくように、高齢者は、長い人生の中で遭遇した数々の困難を乗り越えることで、生きる力を高めてきたのだろう。

 震災後、「戦争の時だって焼け野原だったのに、復活したんだからさぁ」と明るく笑うおばあちゃんの姿がテレビに映し出されていたが、高齢者は私たちが想像する以上に生きる力が強いのである。

ところが、生きる力を一気に失うことがある

 そんな生きる力の高い高齢者ではあるが、高齢になってから、予期せぬ甚大なストレスに遭遇すると、時間の経過とともにたちまちそれまで育んできた生きる力が失われてしまうことがある。

 不意打ちの雨はいつまでもしつこく降り注ぎ、頑丈だった枝をへし折り、太い幹にヒビを入れ、頑張ろうとか、踏ん張ろうとか、そういった気持ちを萎えさせていくのだ。

 例えば、阪神・淡路大震災の時には、仮設住宅に転居した後、高齢者の孤独死が問題になったことがあったし、高齢者が多数を占めた能登半島地震の時の調査によれば、仮設住宅に住む高齢者のPTSD(心的外傷後ストレス障害)の罹患率は21.6%と、高い割合が示されたという報告もある。

 さらに、高齢者にとって、「昨日と同じ今日がある」という状態は、大きな精神的な支えとなる。ところが、既に被災した方々にとって、もはや「昨日と同じ今日」は存在しない。

 たとえ復興が今後進んだとしても、震災前の日常を完全に取り戻せることはない。

 今はまだ、みんなで被災している状況であり、互いに励まし合いながら踏ん張ることができる。だが、多くの人が望み、みんなが整備しようとしている日常が戻れば戻るほど、「昨日と同じ今日」を失ったおじいちゃん、おばあちゃんたちにとって「いかに今後を、生き抜くか?」が最大の課題になってしまうのだ。

 つまり、大地震と大津波という、甚大なストレスを乗り越える強さを持っていたおじいちゃん、おばあちゃんたちではあるが、これからが厳しい、ある意味で本当の闘いであり、これからの“現実”の方が、今よりもしんどい時間になるというわけだ。

 では、今後に厳しい現実に直面したおじいちゃん、おばあちゃんたちが、元気でいられるために、私たちができることは何か?

 参考になりそうなのが、上武大学看護学部の本江朝美教授らが行った60歳以上の高齢者約200人を対象にしたSOCに関する調査研究だ。

 この調査では、高齢者のSOCと関連の強い項目を模索している。その結果、
 ・「自分は健康である」といった主観的健康観が高い
 ・経済状態が良好である
 ・新しいことにチャレンジしている
 ・困った時に相談できる人がいる
 の4項目が、SOCの高さと関連が強いことが示された。

 特に、「自分は健康である」と評価できる状態は、SOCと最も関連が深く、同様の傾向は欧米の調査結果でも示されている。

 年を重ねれば、多かれ少なかれ加齢から生じる症状や病に向き合わなくてはならず、明らかに体力は低下していく。それでも、「あっちこっちガタはきてますけど、元気ですよ」と思えることが、前に進もうという気持ちを後押しする。

念のため補足しておくと、主観的な健康状態とは、文字通り主観的なものである。慢性疾患を患っていようとも、毎日飲まなくてはならない薬があろうとも、「私は元気です」と言える状態を表す。

 つまり、災害の後には「メンタル面のケアが必要」とされているが、精神的なケアの前に肉体的な不安を徹底的に払拭するためのケアが必要なのだ。

 具体的には、既に報道されている医薬品不足の解消、医師の確保、加えて、暖かい住環境や満足できる食環境などなど……。

 「もう大丈夫だ」と、高齢者が思える環境づくりや環境整備にプライオリティーを置き、そのために私たちができることに取り組まなくてはならない。

「大丈夫」と言う人から本音を聞き出す

 当然ながらこういった環境づくりは、個人でできるものではなく、ほとんどは国や地方自治体に任せるしかない。

 だが、それだけで終わるわけではない。

 主観的な健康は、日常生活とともにある。これから私たちが被災地に出向き、直接被災した方々とかかわる時にも、「おじいちゃん、身体、しんどいところはないですか?」と気遣うことが肝心だろう。

 ところが、これが結構難しいのだ。

 阪神・淡路大震災の時に、毎週被災地に通った知人の話では、高齢者の多くは痛いところ、調子の悪いところがあっても本当のことを言わずに、「大丈夫」と答える傾向が強いという。「いろいろと親切にしてくれているのに、これ以上甘えちゃ悪い」といった、高齢者ならではの気遣いが、本当は大丈夫じゃないのに、「大丈夫」になってしまうのである。

 その壁を取り除くには、とにもかくにも心の距離感を縮め、おじいちゃんたちが少しでも甘えてくれるような環境をつくるしかないだろう。

 例えば、声をかけるだけでなく、実際に肌に触れてみる。世間話をしながら、肩をもんであげたり、足をさすってあげたりすると、ついついポロリと、本当に痛いところや心配な個所をこぼすことがある。先の知人も、「肩もみをしながら話をすると、身体の状態が結構分かる」と言っていた。

高齢の方を「お客さん」扱いしない

 そして、何よりも、私たちが手を差し伸べた時に、忘れてはいけないのが、先の調査で示された、「何か新しいことにチャレンジしている」という状態をつくることだ。

 力になりたい気持ちが強い時、私たちはついつい高齢者を『お客さん』扱いしてしまいがちである。

 「おじいちゃん、僕がやるからそこに座っていていいよ」
 「おばあちゃん、私がやるからゆっくり休んでいて」
 といった具合に。

 もちろん肉体的に疲れている時は別だが、そうではない時には、むしろ高齢者にも、一緒にかかわってもらった方がいい。

 「僕はこれやりますから、おじいちゃんはこれをやってもらえますか?」
 「おばあちゃん、私はこれをやりたいんですけど、やり方が分からないので教えてもらえますか?」
 などと、役割を与えてみる。

 役割があることが、すわ「新しいことにチャレンジしている」気持ちをもたらすのだ。

 以前、私がかかわった調査研究でも、「孫の世話がある」「家事をやらなくてはいけない」と、生活習慣で社会的役割を持っている高齢者は、そうでない高齢者よりも元気な傾向が認められた。

 高齢者を対象とした健康増進プログラムでも、高齢者の中から交代でリーダーとなり、そのリーダーがみんなに教えるような形でプログラムを実施した方が、精神的な健康度が高まった。

 そういえば、既に亡くなってしまわれたが、100歳の双子で人気者になった、金さん銀さんは、人気がどんどんと高まって、取材やらイベントに出席やらで、忙しくなったことで、ますます元気になり、白髪が黒くなったと聞いたことがある。髪の毛の話はホントかウソか分からないけれど、社会的な役割を持ったことで、金さん銀さんがますます元気になったのは本当なのだろう。

 いずれにしても、私たちだって「誰かに必要とされている」とか、「やるべきことがある」状態に、生きている意味を、自分の存在意義を見いだす。高齢者にとっても、それは同じこと。

 どんなに年を重ねても、「誰かの力になれる」「誰かに感謝される」ことで、生きている意味は見いだせる。人は誰かの世話になるより、誰かの世話をしている方が、誰かに優しくされるより、誰かに優しくしている方が、自分がそこにいる意味を感じることができるのである。

何か自分にできることがしたい。大きな悲しみに遭遇している人の力になりたい──。

 そういう思いが強くなればなるほど、無意識に「やってあげる」感が強まってしまうことがある。

 「ケアする人とケアされる人」、「サポートする人とサポートされる人」という関係になってしまうことは、時に「強者と弱者」という構図とも重なっていく。

 サポートされる人、ケアされる人は、「力を貸してくれてありがたい」と思う一方で、自分の無力さにさいなまれてしまうことってあると思うのだ。

 そんな時、「教えてください」「力を貸してください」「これやってください」と、頼りにされることは、おじいちゃんたちにとってもうれしいのではないだろうか。

 それに高齢者の方たちは、人生における私たちの大先輩だ。

 せっかく大先輩たちにかかわれるのであれば、大先輩に教えを請う方がいいじゃないか。おじいちゃんたちにとっては何でもないことが、私たちにとっては「すごい!」と感動することだってある。おばあちゃんたちのやり方が、私たちにとっては「カッコイイ!」と思うことだってあるかもしれない。

 私たちが「おじいちゃん、おばあちゃん、教えてください」という謙虚な気持ちを忘れることなく接することができれば、おじいちゃん、おばあちゃんたちを、むやみに無力感に陥らせることは防げるはずだ。

ただ話に耳を傾けるだけでもいい

 そして、その時には、是非とも、積極的におじいちゃんやおばあちゃんの話に耳を傾けてほしい。

 「おじいちゃんの若いころって、どうだったんですか?」といった具合に、“自分史”を好きに話してもらうのだ。

 生まれた場所、若い時の仕事、いつもやっていたこと、好きな食べ物……。 何でもいいから、思い切り、話しすぎたと反省するくらい語ってもらうといい。

 どんなに無口に思える人でも、
 「私は〇×が好きなんですけど、おじいちゃんは?」
 「僕の家では昔からこんなことやるんですけど、東北ではどうなんですか?」
 などと、話しかけると、意外と話してくれるものである。

 何か話をさせようとするのではなく、おじいちゃんのことを、おばあちゃんのことを、そして、自分のことを知ってもらうために、無駄話をすればいいのだ。

 もし、そこで記憶の箱に詰め込んだ悲しい記憶を、自ら語り出すことがあったとしたら、気の利いた言葉を言おうなどとはせずに、「うん、うん」とうなずくだけでいい。

 自分の話を聞いてくれた人がいる、自分の話を存分に語ることができた。そんな経験が、つらい記憶へのカタルシス効果をもたらすこともある。

 いろいろと話せた、自分の話に耳を傾けてくれた人がいると知るだけで、深い心の闇に一瞬風が吹き込んで、少しだけ楽になるのだ。

 だからといって、おじいちゃんやおばあちゃんの苦しみが消えるわけでもなければ、悲しい思いがなくなるわけでもない。どんなに私たちが寄り添おうとしたところで、少しでも苦しみを軽くしてあげたいと願ったところで、悲しみが取り除かれることなどないのだ。

 けれど、どんなにつらくとも、「私には支えてくれる人がいる」「人のきずなの大切さを知った」「自分には信頼できる人がいる」と感じられれば、前に進む勇気を持てる。

 自分の悲しみや苦しみに寄り添ってくれた人がいる、そう思えることが、降り続く雨の傘となる。

 私たちには被災した方たちの悲しみを取り除くことはできないけれど、共に生きることは十分できる。

 今、そして、これから私たちにできること。それは『共に生きる』ことだ。

 その気持ちを忘れないでいることが、被災した方たちが一番求めていることなのかもしれない。

2011年3月18日 星期五

心の窓を開けば


心の窓を開けば
色鮮やかな春の光が見える
春が長くは続かなくても
いつも僕の胸の中の辛酸を消し去ってくれる
春の光はいまどこにある?
永遠に僕の心の中にいればいい
心の窓を開けば
色鮮やかな春の光が見える。

心の窓を開けば
愛いしい人が見える
人が去り、屋敷に人影はなくても
いつも僕の心を癒してくれる
愛しい人はいまどこにいる?
永遠に僕の心の中にいればいい
心の窓を開けば
愛しい人が見える。

心の窓を開けば
故郷の田園が見える
帰り道は千里ほど遠くても
いつも帰りたくなると思わせる
故郷はいまどこにある
永遠に僕の心の中にいればいい
心の窓を開けば
故郷の田園が見える。

心の窓を開けば
青春時代の甘い夢が見える
前途に望みはなくても
いつも胸いっぱいの嘆きを消し去ってくれる
青春時代の甘い夢はいまどこにある
永遠に僕の心の中にいればいい
心の窓を開けば
青春時代の甘い夢が見える。

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阮若打開心內的門窗
詞:王昶雄 曲:呂泉生

阮若打開心內的門,就會看見五彩的春光,雖然春天無久長,總會暫時消阮滿腹辛酸。春光春光你何在,望你永遠在阮心內。阮若打開心內的門,就會看見五彩的春光。

阮若打開心內的窗,就會看見心愛彼的人,雖然人去樓也空,總會暫時給阮心頭輕鬆。所愛的人今何在,望你永遠在阮心內,阮若打開心內的窗,就會看見心愛彼的人。

阮若打開心內的門,就會看見故鄉的田園,雖然路途千里遠,總會暫時給阮思念想要返,故鄉故鄉今何在,望你永遠在阮心內。阮若打開心內的門,就會看見故鄉的田園。

阮若打開心內的窗,就會看見青春的美夢。雖然前途無希望,時消阮滿腹怨嘆,青春美夢今何在,望你永遠在阮心內。阮若打開心內的窗,就會看見青春的美夢。

2011年3月11日 星期五

イギリスBBCのコメディー番組 原爆を題材に



http://www.youtube.com/watch?v=AbLyy_ngIY8


イギリスBBC二重被爆男性紹介問題 BBC会長が日本大使館に謝罪文

イギリス・BBCのテレビ番組が、二重被爆者を「世界一運が悪い男」と紹介 - 在英日本大使館が抗議

BBC番組がいかに二重被爆者を取り上げたか 彼らは何と言っていたのか
2011年1月25日(火)17:10
英語メディアが伝える「JAPAN」をご紹介するこのコラム、今週は日本メディアがロンドン発で一斉に報じてからここ数日話題となっている、BBC のコメディトーク番組についてです。「二重被爆者の方を笑った」という報道がされ、被爆者やご家族の方々を始め、多くの日本人が怒っているこの件を、英国メディアも伝えています。このコラムではそれに加えて、では番組で実際にいったい何がどう言われていたのかを少しご紹介したいと思います。どういうことだったのか、よろしければ各自でご判断いただきたいからです。(gooニュース 加藤祐子)

○BBCが謝罪した内容は

日本の主要各紙およびNHKが20日から21日にかけて伝え、ネット上でも大変な話題となった話なので、多くの方はすでにご存知でしょう。

英BBCに「QI」という、クイズ形式のコメディトーク番組があります。「QI」とは「quite interesting(なかなか興味深い)」の意味。世の中の様々な興味深い物事、森羅万象に付いて、詳しく知ろうじゃないかという番組です。昨年12月の放送で日本の二重被爆者、山口彊(やまぐち・つとむ)さんを取り上げました。その最中に出演者や観客が笑っている様子を見た在英日本人が大使館に指摘し、大使館がBBCに抗議。日本メディアは、番組が山口さんの体験を「世界で最も不運な男」だと「冗談交じりに取り上げ」たと伝え、ご遺族などに取材。ご遺族や複数の被爆者の方々はBBCに対する怒りをあらわにしました。こうした事態を受けてBBCと番組制作会社が連名で謝罪。内容はこうです。

「気分を害された方々に謝罪します。QIは番組で取り上げる人や話題に関して誰かを不快にさせるつもりなど決してありません。しかし今回の場合、日本の視聴者にとってセンシティブな題材である以上、番組で扱うのはふさわしくないと日本の人たちが感じた理由は理解します(We are sorry for any offence caused. QI never sets out to cause offence with any of the people or subjects it covers. However on this occasion, given the sensitivity of the subject matter for Japanese viewers, we understand why they did not feel it appropriate for inclusion in the programme)」。

——これが日本で伝えられている概要です。

○BBC謝罪について英メディアは

ことの次第について英メディアでは、たとえばBBCニュースが「BBC apologises for Japanese atomic bomb jokes on QI(BBCがQIでの原爆ジョークに謝罪)」という記事を22日付で掲載。「コメディクイズ番組『QI』で交わされたジョークについて、BBCは日本大使館の抗議を受けて謝罪した。番組の回答者たちは、第2次世界大戦で広島とその2日後に長崎で被爆し、生き延びたツトム・ヤマグチの経験を、軽く扱った」と説明し、そして上述したBBCの謝罪を伝えています。

『スコッツマン』紙では「日本大使館から抗議されテレビ番組が謝罪」という記事で、経緯を説明。とりわけ回答者が「爆弾がその人の上に落ちて、跳ねとんだ」とか「要はあれだね、コップは半分空だというか半分入ってるというかで。でもどちらにしても、放射能を帯びてるわけだ」と軽口(quip)を叩いて観客が笑ったことに、日本人が不快感を抱いたと説明しています。

ちなみに「コップは半分空か半分入ってるのか(is the glass half empty or half full)」というのは英語でよく使われる慣用句で、コップに半分水が入っているのを見て「半分入ってる」と前向きにとらえるか「半分空だ(つまり半分しか入ってない)」と後ろ向きにとらえるかはその人次第だと言う意味です。

英『タイムズ』紙(リンク先は豪『オーストラリアン』)の記者で日本取材の経験豊富なリチャード・ロイド=パリー氏は、「原爆生存者について冗談を言ったことをBBCが謝罪」という見出しで、経緯と共に、山口さんの長女・年子さんがNHKの取材に対し「許せないです。おもしろおかしくとりあげるってことは。核を持ってる国、落とした側に、運が悪いとかいいとか言われたくない」と語った様子を紹介。さらにロンドンの日本大使館の広報官が同紙の取材に答えて、「番組は、山口さんを笑っていた(mocking)というよりはイギリスの鉄道を笑っていたのだと承知している。しかし山口さんの体験をこういう番組で扱うのはまったく不適切で無神経だった」と話したことを伝えています。

保守系『テレグラフ』紙は、「原爆ジョーク」について日本から抗議されてBBCが謝罪したと手短に伝えています。同紙の場合、記事内容は事実関係のみですが、コメント欄が日本人には辛く厳しいものになっています。保守系の同紙だから、というのも多少はあるでしょうが、日本をよく知らない多くのイギリス人ならこの件についてこう反論してくるだろうと予想できるそのままの内容です。「なぜ謝罪?」、「何が問題なんだ? 真面目な顔をしていないと原爆の話はしちゃいけないのか?」など。さらには「慰安婦問題」や「日本軍による英兵捕虜虐待」や「南京虐殺」を引き合いに出して、彼らが「加害者」と思う日本人の反応を批判したり、当惑したりしています。

ことの顛末を知った多くのイギリス人は「なぜ謝罪?」、「何が問題なんだ?」と感じている。実を言えば私のイギリス人の知り合いたち、そしてネット上でやりとりするイギリス人の多くも、「なんでそんなに怒るの?」という反応でした。ことさらに保守でも、もちろん反日的でもないのに。「日本人が原爆でつらい思いをしたのはよく分かるけど、でもあの番組が笑っていたのは、日本の鉄道のすごさとイギリスの鉄道の駄目さ加減だったのに」と当惑していました。まさに、『タイムズ』紙の取材にロンドンの日本大使館が答えたのと同じことです。

日本の新聞報道でも、番組の出演者たちが、広島原爆投下の翌日から鉄道が動いていた日本とイギリスの鉄道を対比していたと紹介されていました。では実際に番組で、彼らは何と言っていたのか。
○彼らは何を言っていたのか

24日朝まではYouTubeやBBCサイトで観られていた動画が、その後、削除されてしまったので、もはや実際に画像とテキストをつきあわせて各自が自分で検証するわけにいかなくなってしまいました。とても残念です。削除される前に私が動画を観て、(複数の方のご助力を得て)確認していた内容の一部を抜粋して、ご紹介します。

司会者の名前はスティーブン・フライ。「SF」と表記します。その他のイニシャルの人たちは回答者(みんなコメディアンです)。(略)としているのはその間に言葉のやりとりなどがあったことを意味します。

SF: 世界で一番不幸な男の何が幸運なんだと思う?(略) えーと、この人は見方によって、最も不運とも最も幸運とも言えるんだ。(略) 彼の名前は、ツトム・ヤマグチ。2010年1月に93歳で亡くなっている。ずいぶん長生きだったから、それほど不運だったとも言えないね。
(略)
AD: 爆弾がその人の上に落ちて、跳ねとんだとか。
(会場笑い)
SF: この人は原爆が爆発したときに商用で広島にいて、ひどい火傷を負ったんだ(略) 次の日、彼は汽車に乗って、ということは驚いたことに、原爆が落ちた翌日なのに鉄道は動いていたわけだよ。なので彼は長崎へ汽車に乗って、そこでまた原爆が落ちたんだ。
(会場笑い。回答者の一人ははすごいな……と言いたそうな表情で首を振っている。背景には、二つのキノコ雲の写真とその間に山口さんの大きな写真)
SF: 彼は称えられ、ある種の英雄のように扱われて、でも二度被爆した人としてようやく正式に認定されたのは90代になってからだった。
(略)
RB: 要はあれだね、杯は半分空だというか半分入ってるというかで。でもどちらにしても、放射能を帯びてるわけだ。だから、飲んじゃダメだよ。
(会場笑い)(略)
SF: でも僕が何に驚いたって、広島に原爆を落としたのに次の日には鉄道がもう動いていたっていうのが。だってこの国だったら……。
(略)
BB: 枯れ葉が何枚か落ちただけで、もう終わりだ。
(訳注・イギリスでは英国鉄道が列車遅延の理由として、落葉や「the wrong kind of snow(雪の種類がダメ、違ってる)」と説明して国民に馬鹿にされるので。これに引っ掛けたジョークが以下続く)
(略)
BB: 爆弾の種類がダメなんですよ(It's the wrong kind of bomb)、爆弾の種類がダメなんです。
(みんな大笑い、以下ずっと笑いが続く)
SF: (駅アナウンスを真似して) 明らかに、爆弾の種類が合ってましたから(It was the right kind of bomb)。大丈夫ですよみなさん、心配しないで、爆弾の種類は合ってますから。

——などなどです。もっとほかにもやりとりはありますが、引用の範囲にとどめようと思います。

イギリス人が「だってあれはイギリスの鉄道をバカにしてたのに」と当惑する理由が、これで少しでも伝わったならいいな、と思います。

この番組内容について、日本では「二重被爆者を嘲笑」(時事通信)し、「被爆者を愚弄」(日経新聞)し、「二重被爆者を笑いのタネ」(共同通信、読売新聞)にした、「被爆者を笑った放送」(朝日新聞)だったと報道されました。対して私は、嘲笑や愚弄というよりは、日本人が被爆体験に抱き続けるヒリヒリした痛みと悼みに対して無理解で無神経だったことによる、過ちだったと思っています。過失です。過失だからと言って免罪にはなりませんが、悪意はなかったと。悪意がなかったからと言って免罪にはならないが、それでも悪意はなかったのだと。擁護と言われれば擁護でしょう。でも無罪判決を勝ち取ろうとしているのではなく、少しでも情状酌量してもらえないかと思っているのです。

二重被爆者の体験をこういう番組でこういう形で取り上げるべきではなかったと私も思うし、一部の回答者の軽口や会場の笑い声はとても不快でした。日本人がこの件でBBCを叱るのは当然で必要なことだと思う。それでも尚。被爆者に対する嘲笑や愚弄ではなかったと思うのです。少なくともスティーブン・フライについては。

スティーブン・フライという人は、イギリスでは誰もが知っているコメディアンであり知識人です。英コメディの大傑作と世代を超えて評価される『Blackadder』というシリーズにレギュラー出演していたほか、自分のヒット番組をいくつも持ち、自伝や小説や書評など著作も多く、博学で、社会問題についても深い見識と洞察を示してきた人です。そして(イギリスでは周知のことですが)彼は同性愛がまだイギリスで犯罪だった時代に生まれ、その中で自分が同性愛者だと自覚しながら少年時代を送った人です。学校になじめず詐欺罪で逮捕・投獄。自分を必死に立て直してケンブリッジ大に入学しスターになったものの、双極性障害に苦しむようになる。自分が生まれる前に親類がアウシュビッツで殺されていたことも、後から知るに至る。つまり彼自身が色々な意味でマイノリティであり、そういう姿を世間にさらしながら、自分の才能と知性で身を興した人です。

そういう彼の言動を以前から見ていた私は正直いって、このニュースを最初に聞いたとき、「スティーブン・フライともあろう人が、被爆者を笑いものにするはずがない」と強く思いました。そして日本で騒ぎになっていると知った複数のイギリス人知人が「彼はまともな人間だ。被爆者を嘲笑するつもりなんて絶対なかったよ」と私に連絡してきました。彼に対する信頼があるから、多くのイギリス人は「嘲笑じゃないのに」と思い、日本人の反応に当惑しているというのがまず一つあります。

そしてもう一つ。これは日本とイギリスでの「笑い」に対する感覚の違いだと思うのですが、イギリスのコメディというのは、世の中の現実をありのままに赤裸々に語ろうとする表現方法です。世の中の様々な「負」を、バカバカしく奇妙でネガティブなものを、アイロニーを通じて浮き彫りにしようとする手段です。日本で思われているほど、題材そのものがアンタッチャブルだというタブーはありません。弱者・被害者をわざと傷つける表現方法は、もちろんタブーですが。

「笑い」というものはそういうもの、スティーブン・フライと言えばそういう人——と思っているイギリス人は、だからあの番組に多くの日本人が怒り悲しんでいると言われても、なかなかピンと来ないようなのです。このギャップをどうやって埋めたらいいのか、両国の心ある人たちの感情が不要にこわばらないためには、自分に何ができるのか、ずっと考えています。日本人として。イギリス生活経験者として。イギリス・コメディを愛する者として。そして再び、日本人として。


##HIDEME##