Nagoya、Kobe、Himeji、Gifu、Awaji yumebutai

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2010年8月15日 星期日

假像真實

僕達が見て聞いて嗅いで触っていると思っているこの世界は
すべて僕達の脳の中で形作られたものだ
そこにあるものがそのままここにあるわけでもここに伝わるわけでもない
我們活在這個現實的世界
卻不是見聞感知到現實本身
我們所見、所聽、所聞、所感觸到的這個世界
全都是在我們的腦中形成的
換句話說,
我們所見、所聽、所聞所感觸到,並非現實本身的面貌

僕がはなしてるのはきわめて単純明快な つまり科学的な話だ
宗教がかった話でも精神論でもない
例えば君は今僕を見て僕の声を聞いているが
それだって僕の姿そのものでも
僕の声そのものでもない
視覚も聴覚も臭覚も
あらゆる知覚はただの信号として脳に送られるだけだ
脳は送られた記号を組み合わせることで
現実らしきものを
頭の中に再構成するわけだ

我不是在談你所喜歡的所謂的心裡學,
那個與其說是科學,不如說是文學。
我講的是極其簡潔明快的科學性的理論,
既不是宗教宣言也不是精神論,
譬如說,你現在看到我、聽到我的聲音,
但都不是我本人的身影和聲音,
視覺、聽覺、嗅覺,
所有的知覺都是作為傳送到大腦的訊號
透過大腦將接收到的各種訊號重新組合後,
在腦中再次構成你看到的世界。

再構成されたものが知覚であり
知覚していることを認識するという反応こそが意識だ
僕達が知ることの出来る世界はすべて脳という御問屋が
専売で卸した断片的情報によって組み上げられたものにすぎないんだ
そこで、じゃこのお問屋が
まがいものの情報を売りつけてきたとしょう
さて 僕らはそれを偽物だと判別することが出来るだろうか?
絶対に見分けはつかないのだよ 関口君

這再次重新組合的東西,就是知覺。
認識到這種知覺的反應,就是意識。
我們知道的這個世界,
不過是由叫做大腦的這個批發商,以專賣方式收集零碎的資訊而重新組合而成的。
要是大腦這個批發商想要賣給我們一些荒誕不羈的資訊,
我們是否有能力判斷資訊的真偽?
我說絕對分不清楚的。

脳のほかに
内なる世界の構成要素を販売してくれる問屋はないのだ
本物だろうが偽物だろうが
僕ら自身に判定することは出来ないんだ
仮想か 現実か
現実もまた仮想なのだからね
主観において嘘と真実の区別はないのさ
体験も記憶もあてになりはしない

除了大腦之外,再也沒有賣給我們這世界構成要素的批發商了。
是真?是假?只有告我們自己去判斷了。
是假想?是現實?是現實?還是假想?
在主觀上是沒有虛偽與真實的區別,
經驗與記憶也都不可靠。

だから僕らは外部記憶に頼ってそれを判定しようとする
つまり客観的な観測と記録だな
しかしだ 例えば量子力学という新しい学問がする
この学問によると 微細な世界では
観測者が観測した時点で
観測対象は変化してしまうのだそうだ
それは客観は成り立たないということだよ
まあ 当たり前と言えば 当たり前のことだが
量子力学が予想させるある結論というのはこうだ
「この世界は過去も含めて」
観測者が観測した時点で遡って生成された

因此,我們只好靠外部記憶來判斷真偽,也就是客觀的觀測與記錄。
但是呢,比如有一門叫量子力學的新科學,
根據這門科學在微觀世界,
在觀測者觀測的當下,觀測的對象已經發生變化,
也就是說客觀並不成立。
雖說這是理所當然的事,
量子力學讓我們想到的結論就是,
「這個世界包括過去」,都是觀測者在觀測的當下回朔過往所形成的。

君は徳川家康の存在を信じるか?
信じるんだな
しかし君は家康に会ったことはないはずだぜ
ではなぜ君は家康を知っているのか
それは記録が残っているからだろう
じゃあ この本に出ているような 妖怪変化の存在も
君は信じるのか?
記録に残っているということにおいては
この化け物どもだって家康に引けを取らないぜ
これは姑獲鳥うぶめだ

你相信德川家康的存在嗎?
你應該相信吧!
但,你未曾見過德川家康,那麼為何你知道他?
那是因為有記錄留存。
那麼這本書裡寫的妖魔鬼怪的存在,你也相信嗎?
所謂留有記錄,說明妖怪也不比家康遜色
這是「姑獲鳥」。

古くは「今昔物語集」から最近の民族学文献にいたるまで
こいつは頻繁に記録されている
これは柳の下に現れて
子供を抱いてくれとせがむ女の化け物だ
しかし これは 「姑獲鳥こかくちょう」と
まあ 一般には「産む女」と記すんだがね 当て読みだ
姑獲鳥というのは中国の魔物だよ
鳥と化して赤ん坊をさらいに来る

從遠古的「今昔物語集」到現代的民族學文獻記載
它都頻繁的登場
「姑獲鳥」出現在柳樹下
是求你抱她的嬰兒的女妖怪
但,難道這個就是「姑獲鳥こかくちょう」
一般
會寫「生產的女人産む女」,借音字罷了
「姑獲鳥」是中國的妖怪,化作鳥來誘拐他人嬰兒。

赤ん坊をさらう?
そう さらう
我が国のウブメは預ける正反対なんだが
どういう訳か 混同されてしまった
「和漢三歳図絵」あたりではすでに混同されてるね
「百物語評判」なんかではこう記されている
「産の上にて身まかりたりし女その執心 このものとなれり」
「その形 腰より下は血にそみて」
「その声 をばれう をばれうと 鳴くと申しならはせり」
どうも夢うつつだなあ 何か見えたのか?

日本的ウブメ正好相反,妖怪會要你抱她的小孩,但不知怎麼回事,兩者往往被混為一談
像什麼和漢三歲圖繪早就混淆了
百物語評判是這樣說的
死於難產的女人其幽怨化作本身,其形染做腰身下血,其聲化作哀鳴纏繞不離


この世には不思議なことなど何もないのだよ 関口君
這個世界上沒有什麼稀奇古怪的事情

妹:この偏屈兄貴は人を煙に巻くのが生きがいですから

ウブメは俗に お産で亡くなった女性の幽霊だとよく言われています。 だが、違う。 これは「お産で死んだ女の無念」という概念を形にしたものです。 しかし、死んだ者に無念などない 生きている人間こそが 「さぞ無念だったろうな」などと考えるのです。 あやかしの形を決定するのは生きている人間 すなわち「あやかしを見る方なのだ」と僕は定義します。
人間の脳は目で見たことを自分の都合のいいように変えてしまうことが有る
エゲレス語でバーチルリアルティ仮想現実 あくまで僕の考えですが

石燕之所以把姑獲鳥寫成這幾個字果然還是依據了和漢三歲繪圖, 不過
和漢三歲繪圖寫的那幾個字不是那樣發音的, 鳥是鳥呀, 而且西鶴的好色一代女, 寫的也是主人翁被姑獲鳥所惱但這裡是嬰兒,被拖胎掉的嬰兒們排成一列訴說忿恨, 你不是主張姑獲鳥是難產而死的女子的幽靈的嗎?

世間都說姑獲鳥是難產死去的女人的幽靈
但不是
這只是將
“姑獲鳥是難產死去的女人的幽靈“概念化了
但,往生者是沒什麼幽怨可言的
只不過是活著的人想 大概感覺很幽怨吧
將這說成一種鬼怪形態的 是活著的人
我的定義即是--人為視作鬼怪
哲学などではありません 科学です。
你說的好哲學啊
不是哲學,是科學


なんでも「おしょぼ(讃岐でいう死亡した子供の妖怪)憑(つ)きの筋)」 だそうで 筋:plot(物語・小説・劇などの) 憑き物筋とは憑き物を操る家系という意味だ 民族社会におけるいわゆるひとつの装置 共同体に不可解な出来事が発生した場合の解決手段として設定されている装置だ 記憶がさたか 定か:はっきりしているさま 御伽草子(おどきぞうし)の陰陽師のように 氏子(うじこ)でも禰宜(ねぎ)でもない者を神殿には入れられん

意味のない存在に意味を持たせ 価値を見出す言葉が呪い(のろい)だ 「脳に仕掛ける時限爆弾」みたいなものさ

讓沒有意義的存在讓它產生意義,且找出有價值的語言,就是咒語
說起來就像「安裝在腦子裡的定時炸彈」一樣。

人を呪わば穴二つ愉快なもんじゃない

「父無し子」ててなしご
1.父親に死なれて、母親の手で育てられた子。ててなしご。
2.父親のわからない子。私生児。ててなしご。

仏教は愛という観念は
捨てるべきだと説いている
愛すなわち執着と言い換えることが出来るからね
あらゆる執着を捨てることが唯一の解脱(げだつ) 如来(にょらい)へ至る道なんだ

君の脳は見ることを拒否した 心の求めるに応じて 現実を都合のいいようにねじ曲げだんだ 我々が今 見て聞いて 体感していることの世界は 決して現実のそのままじゃない それぞれの脳が選択した単なる情報の再構成だ 我々皆 脳というものがつ作り上げた  ある種の結界に囚われているのだよ

我們的大腦會去拒絕看到的東西
為了迎合內心的需求,將現實的世界扭曲成對自己有利的情境
現在我們所見所聞所感的這個世界
並不是現實世界所顯現的那樣
Virtual Reality
而是每個人的大腦在各取所好下各種單一資訊而重新建構而成的
所以我們每個人,其實都被囚禁在大腦所佈下的某種結界裡。

扉を開けたら死体がある捜すも蜂の頭もあったもんじゃない
耳は閉じることが出来ない
だが声だけが聞こえないこともある
不可能關上耳朵 但是聽不進的時候
所以你睜開眼睛

人類的大腦往往會將眼睛看到的事物曲解成對自己有益的情境

想用懷孕逃避丈夫死亡的事實
你當然有不想承認它存在的理由


2010年7月28日 星期三

迷網之刃




父親追殺犯人。刑警想要保護父親。
心肝寶貝被少年犯奪走了性命。
少年法有少年法保護,永恆的絕望留給了受害家屬。
被強行拖進徘徊在深夜路上的轎車,少女的哀鳴被捲入暗夜裡
第二天早晨,身著制服的淒慘屍體在荒川旁被發現。
織部和真野兩位刑警來到案發現場,從屍體查出被害少女生前不但被性侵,還被注射藥物。
查出被害少女的身分,是長峰就讀國中的獨生女。
接到通知的長峰來到屍體安置室與成了死體的女兒會面。
憔悴,灰心,無限的遺憾。
與妻死別,與女兒相依為命的長峰,看著女兒的成長成了生活上唯一的樂趣。
女兒的死,等於失去活下去的目的。
長峰在絕望和無力感的煎熬中掙扎度日。
某日一位神秘人物在長峰的錄音電話中留下一段話:
「你女兒絵摩是被菅野和伴崎所殺害。伴崎住在。。。」

警察的辦案進度毫無進展,讓焦躁的長峰開始坐立難安,於是來到神祕留言電話所指示的伴崎住所。
伴崎剛好不在,於是長峰擅自進入屋內,隨著神祕電話的線索找到了的錄影帶。
他播放錄影帶,看到女兒被野獸一般凌虐的畫面。
這世間竟然有人冷酷無情到這般境地?
長峰在劇烈慟哭之後轉為深沈的憤怒,用屋子裡一把現成的刀子插進回到家的伴崎的腹部。
不久,長峰將一封殺了伴崎招供信寄到織部和真野所屬的「搜查本部」。
而留在兇案現場的兇器,指紋也被斷定長峰的。
長峰的信中寫到,自己無論如何也無法容忍法律對少年犯的寬容制裁。
年輕的刑警織部對於長峰遭遇產生了多於同情的感受,他問前輩真野:
「結果,我們警察所做的事,就是給像菅野這樣的人有更生的機會,奪走像長峰先生這樣受害者的未來?」
「長峰已經沒有未來」
真野的這句話無比沉重,重重地捶進織部的心底。

因殺害伴崎而被全國通緝的長峰則來到長野的山中。
憑伴崎生前說過「長野的民宿」的一句線索,長峰來到長野追殺菅野。
長峰拿出菅野的照片,挨家挨戶尋問菅野的下落。
另一方面,警方也從死者伴崎的住所搜到的證物=錄影帶的內容得知長野是菅野潛伏地。

眾多警察的包圍與來往群眾的眾目睽睽下,在繁華的街道中長峰拿著獵槍對準菅野的膛口。
原本同情長峰的織部與長峰變成了對峙局面,這一幕宛如被悲哀的命運之線所操弄。
警察眼睜睜得看少年犯死在長峰的槍下?還是斃了長峰搶救少年犯的生命?


我是前幾天屍體被發現在荒川的絵摩的父親,長峰重樹。
我想警方已經查出我就是殺了伴崎的兇手。
對已經與妻子死別的我來說,女兒是我唯一的親人。是無可替代的珍寶。
因為女兒,我的人生才過得有意義。
伴崎卻從我這兒奪走了無法取代的珍寶。
而且手法殘忍,瘋狂,毫無人性。
把我的女兒當成肉塊處理掉。
伴崎未成年。
即使被逮捕了,法律將會以重新做人回歸社會的目的為由,對他做出我無法接受的判決。
「惡」不會因此消失。他們所犯下的「惡」,永遠深烙在我的心中。
當然,我明白任何理由殺人都要受到法律制裁。
可是,現在的我還不想被逮捕。我還有事要辦。
我想警方猜得出我要追殺的對象是誰。
但,我死命必達。


父親は犯人を追う。刑事は、父親を守りたかった。 少年犯罪によって奪われた最愛の娘。 犯人は少年法により保護され、遺族には永遠の絶望が残される。

深夜の路上を徘徊する乗用車に、引きずり込まれる少女の悲鳴が、闇に吸い込まれて行く 翌朝、荒川べりで、無惨な制服姿の死体が発見される。

事件現場に駆けつけた刑事、織部と真野は、死体に強姦と薬物注射の痕跡があることを知る。 少女の身元が判明、長峰の中学生になる一人娘であった。 連絡を受けた長峰が死体安置室で変わり果てた娘と対面する。 憔悴、落胆、遣い切ない無念。

妻を亡くして、娘の成長だけを楽しみに生きていた長峰は、生きる目的すら失って失意のどん底へと突き落とされた。 絶望と無理力の日々。その彼の家の留守電に、謎の人物からメッセージが入る。 絵摩さんは菅野と伴崎とに殺されました。伴崎の住所は。。。」

警察から操作の進展状況も知らされず、苛立ちを覚えていた長峰は、疑念を抱きながらも、伴崎のアパートを訪ねる。 主が不在の部屋で長峰がみつけたビデオテープには、絵摩を力ずくでレイプする、人間の姿をしあ怪物、伴崎と菅野の姿が映し出されていた。 この世に、こんなにまでの理不尽な不幸、無慈悲な悪があるのだろう。激しい慟哭と怒りの駆けられた長峰は、やがて帰宅した伴崎の腹部に、その場にあった刃物を突き立てた。

やがて、捜査本部の織部と真野の元に、長峰から、伴崎殺しを自供する手紙が届き、現場から発見された指紋から、長峰の犯行と断定される。長峰の手紙には、未成年者故に与えられる刑罰の軽さを憂い、自分はどうしても彼らを許せないと心のうちが書き綴られていた。長峰の心情に同情以上の何かを感じた織部は、真野に激しく質問する。 「結局、われわれ警察がしていることは菅野のような者に更生するチャンスを与え、長峰さんのような被害者の未来を奪い取っているだけじゃないですか」 「長峰にはもう未来なんでないんだよ」 真野の一言はこの上なく重く、織部の心に響く。

伴崎殺しの犯人として全国に指名手配されたころ、長峰は長野の山中にいた。 伴崎が口にした「長野のペンション」という一言を頼りに、菅野の後を追っていたのだ。 菅野の写真をみせ、一軒一軒尋ね回りhながら、やがて廃屋と化した一軒のペンション跡に辿り着く長峰。
一方、伴崎のアパートから出た証拠品のビデオテープの映像から、織部と真野も菅野の潜伏先を長野に絞り込み、同じ廃屋へと向っていた。 運命の哀しい糸に手繰り寄せられるようにして、対峙する長峰と織部。やがて、やり場のない憤り、不条理に衝き動かされ、物語は衝撃の結末に向けて、加速していく


伴崎殺害事件を担当しておられる警察関係者のみなさんへ。 私は先日荒川で死体となって発見された長峰絵摩の父親、長峰重樹です。 すでにおわかりのことと思いますが、伴崎を殺したのは私です。 妻を亡くした私にとって、娘の絵摩はただ一人の肉親です。かけがえのない宝です。 あの子がいるからこそ、これからの人生を生きていいく意味が持てました。 そんな何ものにも代え難い宝を伴崎は私から奪いました。 しかもそのやり方は、残忍で、狂気に満ち、人間性の欠片さえ感じることが出来ませんでした。 私の娘をただの肉に塊として扱ったのです。 伴崎は未成年です。 逮捕されたとしても、更生と社会復帰を目的とする理由で、刑罰とはとても言いがたい判決がくだされたことでしょう。 「悪」はけして消えることは有りません。彼らによって生み出された「悪」は、永遠に私の心の中ににこり続けるのです。 もちろん、どういう理由があろうとも、人を殺せば罰せられることはわかっております。 しかし、今はまだ逮捕されるわけにはいきません。私には、まだやらなければならないことがあるからです。 それが何なのか、そてその相手が誰かと言うことも、警察では掴んでいるだろうと想像します。 私は何があっても思いを果たします。 長峰重樹 


なぜこの小説を加工と思ったかについては、ここでは語らないことにする。
じつは、自分でもよくわからないからだ。
強いて言えば、胸の内にあるもやもやを文字にしていくと、
こんな作品ができあがった、ということになる。
懸命にエンターテインメントにしょうと努力したが、重く暗い話になった。
だがこれ以上に軽さや明るさを求めるとメルペンになってしまう。
この作品の映像化は困難でたっただろうと素人ながら想像する。
光も華もないストーリーなのだ。
だが完成作を見て唸った。
さすがはプロだちだ。物語の本質を理解し、光の代わりに闇を華の代わりに毒を描くことに厳しい作品に仕上げている。
多くの人に見てもらい、何かを感じてもらえたらと思う。







2010年6月21日 星期一

五部電影的聯想

二戰時期法國分裂成維西政府與自由法國,當時的電影是否扮演了政治宣導的媒介 ?


法國唯一一次向希特勒投降發生在1940年6月22日。

投降造成了法國國內的分裂,國內另立傀儡政府維希政權。
維希政府由納粹德國扶植成立,設在法國南部城市維希,名義上統治整個法國,實際上卻允許納粹德國在佔領區內任意橫行。
維希政府由法國一戰英雄貝當元帥出任政府元首,推行賣國政策。


1940年 6月德國侵占巴黎後,以貝當(Henri Philippe Pétain,1856年4月24日-1951年7月23日)為首的法國政府向德國投降,1940年7月政府所在地遷至法國中部的維希 (Vichy),故名。
正式國號為法蘭西國 ,統治大約五分之三的法國領土。
二戰法國即將戰敗時,一戰英雄貝當任副總理 ,要脅總理阿爾貝·勒布倫 (Albert Lebrun,1871年-1950年)讓位給他,向德國投降。

隨後在維希舉行國會投票,利用他的崇高威望,使國會選舉他為元首 ,改國號 ,實行法西斯獨裁。 國會成為諮詢機構。
當時除英國之外的國家都承認維琪政府為代表法國的政府。

在1944年盟軍登陸法國後,維希政府遷往德國的希格馬林根 ,次年垮台。
不少的維希政府官員與成員在戰後都受到法國政府的通緝與囚禁。
貝當曾在第一次世界大戰期間擔任法軍總司令,帶領法國與德國對戰,被認為是民族英雄,1918年升任法國元帥。
但他向德國投降,至今在法國仍被視為叛國者,戰後被判死刑,後改判終身監禁,被囚禁在大西洋中Île d'Yeu島的一個要塞中直到1951年病故。


自由法國

1940年6月德國侵略軍未發一彈就佔領了“不設防城市”巴黎,法國陷入一片恐慌。
法國總統雷諾把老態龍鍾的亨利貝當元帥調回國內,組成傀儡政府,也就是維希政權,他聲稱與德國合作是保護法國人民的唯一方法。


在維希法國向 納粹德國 投降時,戴高樂逃亡至英國 ,於6月18日透過英國廣播公司 (British Broadcasting Company,BBC),發表《 告法國人民書 》的演說,號召法國人民不要放棄希望,“法國抵抗的火焰都不能熄滅,也絕不會熄滅” ,這標誌了「 自由法國 」( France libre )運動的開始。

1944年 7月 ,法國被盟軍光復,自由法國政府解除任務並解散,由法蘭西共和國臨時政府取代。



Casablanca


『 北非諜影』Casablanca背景設置在二戰中受維希法國控制的摩洛哥城市卡薩布蘭卡 。
本片是根據Murray Burnett和Joan Alison尚未完成的Everybody Comes to Rick's 改編。
故事開始時已是二戰期間,玩世不恭的美國人Rick Blaine在卡薩布蘭卡開了一家名為「Rick美式Cafe」的酒吧 ,而且擁有兩張寶貴的通行證。
「Rick」廣受歡迎,顧客不只有納粹黨與維希法國的人員,更是歐洲 難民最常去的地方。
Rick忍著內心的痛苦,目送情人與他人遠去的一段成為愛情電影的經典。

1942年11月8日,盟軍在北非登陸 ,當時在維希法軍佔領下的塞內家爾等西非國家紛紛陣前倒下戴高樂的自由法國。

火炬行動是美英軍進攻法屬北非戰役的代號。而卡薩布蘭卡就是巴頓將軍麾下的美國部隊進攻摩洛哥的第一站。

『 北非諜影』就在火炬行動數週後公開放映。該片被公認是史上十大名片之一,被認為不只是一部令人心碎的愛情電影,實際上更是一部宣揚民族主義和愛國主義電影,讓觀眾認清維希法國是全法國的敵人。

直至今日成為摩洛哥的首善之都的卡薩布蘭卡,城市中的高級大飯店還保留了電影中的氣氛,成為吸引觀光客尋訪電影遺跡的熱門景點,『 北非諜影』意外成了前來推銷摩洛哥觀光的PR電影。


To have and have not



另一部同為Humphrey Bogart主演的電影《To have and have not》於巴黎被解放後的 1944年10月上映。
本片的風格近似《北非諜影》Casablanca, 改編自海明威的小說,同樣是以戰爭為背景的電影,但這次是法國被德國占領,而不是法國占領卡薩布蘭卡。

故事背景是二次世界大戰法國被德國納粹佔領時的馬蒂尼島,Bogart飾演一艘專門接待遊客海釣的遊艇美國人船主,本來生活優悠,不在乎法國由誰當政,後來親眼目睹魁儡政權維希法國卑劣囂張的行徑,遂改變主意援助法國地下主織逃亡美國。

海明威小說的情節原本是描述反抗當時做為美國「傀儡政権」的古巴政府,電影巧妙地將人時地物轉換成法國地下組織反抗德國占領下的法國 傀儡政府維琪法國。

世界大戰爭結束後,和平降臨法國的土地。戰前曾協助過納粹組織者遭到審判,與德國人交往的婦女以理光頭作為懲罰。
(本片政治宣導功能 : 維希法國不具法國合法政權)

The Train

故事時代背景是二次世界大戰末期,德軍眼看大勢已去,深黯藝術無價的德國指揮官Colonel Franz von Waldheim向希特勒說服這些被希特勒視為「頹廢藝術」(註)的畫作尚有「金錢上的價值」乃下令將一批法國名畫從博物館搬回德國去。

(事實上,電影要傳達的意念 : 這些可能被希特勒付之一炬的「頹廢藝術」,其實它的藝術價值比金錢價值多更多。)

然而負責駕駛這列火車的司機在嚴密監視下,仍跟法國鐵路局人員及地下游擊隊配合行動,用魚目混珠及瞞騙等種種方式跟德軍鬥智,力保國寶不致流出國境之外。




最後一幕是點睛之筆。
Burt Lancaster扮演的火車司機Paul Labiche,在擊斃德軍上校後,冷眼看了看那些散放在地上的標有高更、雷諾瓦、梵谷、馬內、米羅、塞尚、竇加等藝術巨匠名字的木頭箱子,然後轉身離去。

「We won’t waste lives on paintings ; Don’t you have copies of them?」
地下游擊隊原先不樂意配合,但最後還是為畫捐軀了。


(註)頹廢藝術,或墮落藝術,是納粹德國對不符合其思想意識形態的各類藝術的稱謂。 這些「頹廢」藝術品幾乎囊括了當時所有的現代派藝術作品。 他們大多被戴上猶太主義或布爾什維克主義的帽子而遭到當局的抵制和封殺。 封殺的手段包括將創作者解職,嚴禁其展覽和出售作品,某些情況下甚至嚴禁其從事創作。納粹時代,希特勒的個人審美取向成了指導一個國家全部藝術領域發展的法令界律。

Is Paris burning



《巴黎戰火》Is Paris burning 於1966年拍攝,本片講述1944年,二戰的優勢已經轉移到盟軍這邊,希特勒為了守住巴黎這最後的屏障,派一名將軍去巴黎督戰,並搜捕地下游擊隊,並企圖在盟軍收復巴黎之前炸掉、燒毀整個巴黎。

本片與The Train有異曲同工之妙,也是描寫巴黎的德國占領軍司令官違背希特勒炸毀巴黎的命令,暗地裡與盟軍合作,被視為等同文化遺產真蹟的巴黎得以逃過成為焦土的大劫難。

然而,被盟軍無差別轟炸下,柏林「博物館島」藝術品遭受嚴重破壞;日本城市化為灰燼 。



延伸聯想:平平是古蹟,大小漢哪耶差哈濟?

位於巴基斯坦南部的古蹟--摩亨佐-達羅(Mohenjo-daro),4000年前已有完善的上下水道工程,是印度河流域文明的重要古蹟,但因管理不嚴,許多被挖掘出來的古蹟被鄰近居民擅自帶回家當建材使用。

根據當地導遊的說法,這些將古蹟帶回將當建材的居民大多是巴基斯坦的窮困農民,因此有關單位對於為了要回古蹟而去損毀建築物也有所顧慮。

另,美國入侵伊拉克,傳出戰爭記者趁混侵入巴格達博物館想要竊取具歷史價值的高價古蹟而被捕的新聞。
任何一個時代,總不乏想要趁烽火亂劫瑰寶的精明傢伙。


It's the White man's war. Me, I refuse to go.
躲起來拒絕參戰的兒子因為父親被白人要脅,不得不出面被送到法國去作戰。
First the White men wanted our sons, now our rice.
村裡年邁的父執輩怨嘆白人又要兒子又要米。

被譽為「非洲電影之父」的塞內加爾電影工作者桑貝納(Ousamane Sembene)對於黑色民族在過去二、三百年來在白色帝國主義殖民統治下的歷史經驗,做了有系統的探討。

電影天神《Emitai》是他1971年的作品,講白色殖民者,摧殘壓榨農村的情形,劇情陳述,冷靜平淡,卻道盡強勢國家欺凌弱勢國家的本質。

隨著法國政權一分為二,法屬非洲也無法逃過波及。塞內加爾原先被維希法國所控制,戴高樂親自率領一支剛成立的「自由法國」部隊和英軍組成聯軍,在今天塞內加爾的達卡爾港登陸,進攻維希政府統治下的塞內加爾。

在電影尾聲,畫面出現家家戶戶的茅草房外貼著的「法國頭目」大頭照從7顆星的貝當換成2顆星的戴高樂,塞內加爾也隨即宣示效忠戴高樂的「自由法國」。

非洲人不管是誰掌握法國主權,法國還是法國,自己依然是沒有主權。

此前,塞內加爾一直是接收來自台灣的援助。
現在中國取代台灣成為對塞內加爾最大的投資者是,中國取得道路等大規模的基礎設施。

若問起街上販賣佈滿沙塵的盜版光碟的小販,「台灣和中國,哪一個好?」,小販可能回:「阿哉?只要帶來好康的,哪個都好,無差啦」。

現在的塞內加爾人民不清楚台灣與中國之間的關係,更別提二次大戰期間,分裂的法國的「維希和戴高樂」之間的關係。








2009年2月27日 星期五

おくりびと

今年第81屆奧斯卡金像獎又在眾星奪獎激情瞬間落幕了。兩部清清淡淡的日本入圍作品竟能拔萃出類雙雙獲獎。

2月22日,在洛杉磯柯達劇場進行第81屆奧斯卡金像獎頒獎典禮上,代表日本角逐最佳外語片《送行者》(本木雅弘規劃·主演,瀧田洋二郎監督)和「つみきのいえ」奧斯卡最佳動畫短片:La Maison en Petits Cubes(中文譯成回憶積木小屋)同時獲獎。日本媒體以「驚喜」報導這項榮耀。

以前日本有一部片名「葬禮」(1984年)也是很有趣的電影,是已故名導伊丹十三的作品,不過,這部點影沒有「蒲公英」這部受到國外的重視。

2001年的「9·11事件」以來,面對沒完沒了的戰爭與青年戰士之死的美國人的精神而言,欣賞這樣的電影說不定意外帶來療傷止痛的癒療效果。

根據維基百科的說法,金像獎的評審過程是「 美國電影產業團體和「美國影藝學院」 (The Academy of Motion Picture Arts and Sciences,縮寫為AMPAS)採無記名投票方式進行。
AMPAS目前約有6,000名會員,直到頒獎者發表以前,得獎人是完全保密的。所以相信這個選拔過程是非常具有公信力。這此的選拔結果,看來也像是美國社會大眾內心層面的反應。


《送行者》從奧斯卡鍍金回國的記者會上,滝田導演說 :
「抱得金人歸,簡直是奇蹟的逆轉勝。對於日本電影受到國際肯定,備感榮耀。」

該片原本在日本一月初已經下片,但是入圍了奧斯卡金像獎最佳外語片後,日本簡直是舉國歡騰,因為睽違五年之久才能再入圍,所以日本於三月全國再度盛大聯映。

當《送行者》成為日本第一部獲得奧斯卡最佳外語片獎的電影後,在小金人的加持下,觀賞人數遽增,日本全國188家電影院同時上映中。

從24日到27日的四天當中,就湧進24萬5,000人次,票房収入達日幣2億7,138萬円。
自去年九月上映以來累計觀賞人數達304萬9,000人次,票房總收入達35億3,545萬円。

話說美國電影向來以砸銀子,華麗堆疊光彩奪目的寶藏,個人主義、遷徙自由、地位陞遷、追求(性慾和財富的)幸福、以及用暴力手段伸張正義的英雄等,大多數的片子是簡單可料的故事情節、眼花繚亂的視覺效果、很少需要用字幕的單字對白。

相對的,美國人對這部描寫「為死人送行」納棺師之質樸的職業,無味無素的電影,怎會有如此高的評價?也許是美國人處於金融危機時代,稍稍厭世的一種情緒蔓延的反應吧。



另外,在最佳短篇動畫的獎項上,由31歲的導演加藤久生執導的「回憶積木小屋」獲得,這也是日本作品首度獲該獎。

「回憶積木小屋」是12分鐘的短篇動畫,描述隨著海面的上升,老人住的家不斷地像積木一樣往上加蓋。老人孤獨面對地球暖化、家族的回憶、人生的年輪的問題...

這部短篇動畫像部默片,沒有對話、沒有台詞、沒有華麗出奇的演出,同樣只是淡淡地描繪氣候持續暖化下去的現狀。影片中隱隱飄逸著一種獨特的悲傷,若有似無又忽引忽現地散發屬於一種「明天過後」的警語。
是以,「回憶積木小屋」以一種簡單方式表達對地球環境關懷的動畫作品獲得了金像獎的殊榮。

對於這兩部樸素的日本電影作品雙雙獲獎,意味反映著美國社會大眾的心情縮影。
或著說,全球陷入金融危機的泥沼中,美國電影界本身是否也正在深深地咀嚼「CHANGE」的意義。


【送行者 劇情提要】

年齢問わず、高給保証!実質労働時間わずか。
旅のお手伝い。NKエージェント!!

沒有年齡限制!保證高薪!工作時數少!
誠徵旅行助理/NK代理店!!

「啊~這個廣告一定是誤植(typographical error)。不是"旅行助理",是安樂"旅程助理"。」

男主角大悟(本木雅弘飾)是位職業大提琴手,樂團也在不敵景氣蕭條下宣佈解散。

大悟手上拿著徵才廣告前來NK代理店應徵,社長佐佐木(山﨑努飾)向大悟說明他一輩子都未曾想過的工作內容。原來是【入殮】,將遺體放入棺木的納棺師。

回到家中,向妻子美香(廣末涼子飾)謊稱找到一份代理婚喪喜慶相關業務的工作。
瞞著妻子開始實習成為一名納棺師...



【送行者 電影花絮】

企劃·主演 : 本木雅弘
導 演 : 瀧田洋二郎

送行者,該片從開拍到完成,擔任男主角的本木雅弘功不可沒。
事實上,這部影片的題材構思,正是由本木在十幾年前提出的構想。
原來是本木參加了一場告別式,看到納棺師以神聖莊嚴的態度溫柔對待往生者,
使得本木對納棺師一職產生濃厚興趣,還向製作人提議:
「以納棺師的世界做電影題材如何?」
沒想到籌備了10年,到08年電影終於完成。

本木雅弘為做好角色,可說是下足苦工。
從未學過任何樂器的他,為了劇情需要,足足花了兩個多月時間苦練大提琴。
他說:「我是第一次接觸大提琴,超乎想像的困難啊!真的花了很多心思苦練才稍微有點樣子。」

為了演好禮儀式的角色,他在拍戲之前曾跟正牌納棺師學習,
後來為了將這個角色詮釋得更好,還到實際的入殮場合學習。

最後,連指導他的正牌納棺師師都說:
「你已夠資格當個很好的納棺師了。」如此賣力的演出,贏得各界好評,
日本媒體甚至以鹹魚翻身形容本木再創演藝事業高峰。


【也是蝴蝶效應】

「納棺師」是極致的服務業。
人走到生命的盡頭,無論死因為何,最後的表情是悲傷還是痛苦,「納棺師」都要設法讓亡者呈現出最美好的面容。

《送行者│禮儀師的樂章》勇奪奧斯卡外語片獎,使「納棺師」這個神聖工作在日本突然大受矚目。
 
過去日本人家中有人過世,通常會請納棺師到家裡來為亡者打點後事。
隨著時代轉變,喪禮儀式逐漸簡化,有些地方已沒有專門的納棺師,
現代人大多將喪葬事宜交給葬儀社,納棺的工作自然也由葬儀社員工兼任。

傳統的納棺流程會替死者洗澡、洗頭,清理口腔並在口內放入含除臭藥劑的棉花,
用棉花塞住嘴、鼻、肛門等,較講究的還會注射矽膠等讓死者的臉看起來較豐潤,
接著是化妝、穿壽衣、將死者放置到棺木中封棺。

《送行者》片中,納棺師在家屬面前輕柔地為遺體從頭到腳清理每個部位,
之後要求家屬一一為死者擦臉,並對死者說出內心的話,
也會要求拿死者生前最喜歡的東西來為他送行。
例如,有先生拿出太太最喜歡的口紅為她擦上,
有孫女為完成祖母生前想穿襪套的心願,拿出襪套給祖母套上,
有的家人一一吻別亡者,
整個納棺儀式仿佛就像一齣齣溫馨感人的親情戲。

《送行者》得獎後,日本許多人打電話詢問如何成為納棺師,
在電影成功的推波助瀾下,讓這份職業再度受到世人的重視與肯定!

2008年12月31日 星期三

朗読者


小說中的Michael從學校回家途中,因身體突然不適受到Hanna的照料而發展為愛情關係。

某日Hanna突然不告而別,Michael成為法律系的學生在法庭上旁聽對納粹時代強制收容所的判決,意外與成為"被告戰犯"身分的Hanna重逢,而且就在當下Michael才知道Hanna是不會讀不會寫的文盲。

Michael將小說或詩集錄製成卡帶送給服刑中的Hanna聽,如同昔日為戀人所做的「朗讀」一般。

Hanna與Michael彼此年齡與身分地位的差距,透過「朗讀」的過程,讀者與聽者形同做愛一般將兩人的世界融合在一起,強烈確立彼此的存在,加深相互的情愛關係。

但是,當Michael以第三者的身分聽審判長「朗讀」Hanna的起訴狀,才得知Hanna是納粹戰犯。原來Michael對Hanna根本一無所知。

對於不是文盲的人們而言,究竟要使盡多少想像力才能理解「不會讀不會寫」的這個事實?雖然有人不善表達,人與人之間的溝通,語言成為重要的手段是不爭的事實。Hanna的一生,除了口頭的會話外,沒有別的方法將自己內心的感受或想法表達出來。如果不會閱讀文字,不僅無法做到書信的交流,甚至獲得知識和資訊的機會都被剝奪了。並且,如果不會書寫文字,自己的想法和感受無法藉由文字呈現出來——即意味這個人確實存在在這個世上,或者曾經存在的證據也都無法留下。


這到底意味著什麼?唯一可以揭開一件明顯的事實,就是閱讀與書寫對大部分的人而言,雖然已成了理所當然的事,但事實上讀與寫對我們的想像力並沒有太大的幫助。例如Michael來到納粹時代的強制收容所,他嘗試用他的想像力去想像那裡曾經發生過的大屠殺,但是徒然無功。

 Michael在知道Hanna的犯罪的同時,也想以法律人的角度審判Hanna的罪行。可是,Hanna所犯下的罪太可怕。越想去理解,越無法理性審判Hanna。如果將Hanna當作路人甲來審判,Michael就沒有重新認識Hanna的餘地。但是Michael是多麼渴望理解Hanna。


從前,獄中強制犯人要朗讀書本,Hanna也是要求當時還是少年的Michael朗讀書本,話說不論Hanna是寧願承受不白之冤,或是想要掩蓋自己是文盲的事實,Hanna按地下定決心學習文字的讀與寫也好的,被關進與世隔絕的監獄,某意義上,不得不說這就是Hanna會做的事。

今は大学の法学部教授である中年男の回想である。いきなり15歳の少年時代の話から始まるが、話し手は、それからもう何十年もたって、物語が完結した後の視点から、回想して話している。その時間感覚、時代感覚は、最初のうちはなかなかのみこめない。読み進むうちにだんだんわかってくる。それも作者の意図した謎なのかもしれない。

 15歳の時、学校からの帰りに、道ばたで気分が悪くなり、吐いてしまう。それを「乱暴といってもいい態度」で、介抱してくれた中年の女性。これがもう一人の主人公である。少年は黄疸だった。何ヶ月かの自宅療養でやっと回復し、外に出られるようになった日、少年は女のところへお礼に行く。物語の場所はどこにも明記されていない。ドイツのハイデルベルクと思って読んでさしつかえなさそうだ。

 少年に対する女の対応はきわめて無愛想だったが、彼はこの年上の女性(38歳だということが、いずれ分かる)に惹きつけられる。開いていたドアの隙間から、ストッキングを履く女の姿を「目を離せず」見てしまう。その体の動きに魅せられ、「この体の中で世界を忘れなさいと僕を招いているように感じてしまう」。性に目覚め始めた少年は、成熟した女に、はじめて女を感じ、そうした自分に戸惑ってしまう。

 そうしたシチュエーションに赤面して、思わず逃げ帰ってしまうが、一週間後また訪ねる。散々逡巡したあとで。女の家への訪問には、もう明らかに性の意識が混じっていた。そんな少年の気持ちは、男の子がある時期経験するもので、よく分かるし、なつかしい。少年の純真さと大人の世界へのあこがれとの板挟みになった心の時期。

 思い切って出かけたのに、女は留守である。集合住宅の上階である。その階段で帰りを待つ。そのひたむきな気持。そこへ帰ってくる女。着ている制服から、彼女は路面電車の車掌であることがはじめて分かる。相変わらず彼女はぶっきらぼうである。しかし少年の気持ちは彼女に通じる。

 「このために来たんでしょ!」 との言葉とともに、いつの間にか裸になっていた女に抱かれる。このとき、女は何を考えてそうしたかは、何も語られていない。この時だけではない。物語は、「ぼく」の物語であって、「ぼく」の視点でしか語られていない。おまけに女は寡黙である。何を考えているか「ぼく」にも分からない。「僕はいったい彼女の何なのか」という疑問を持ち続けて、それに答えの見つからないまま、付き合いを続ける。彼女の正体と、抱えていた問題が、やがて明らかにされたあとでも、このころの女の気持ちは分からない。ただ一つ、彼女は彼を身体で受け容れてくれた。そのことだけで少年には十分だった。

 それからは、彼女の早番、遅番に合わせて、学校帰りに彼女の家に寄り、毎日愛し合う仲となる。何日か経ってはじめて彼女の名前を聞く。それはハンナ。そして彼の名前を聞く。ミヒャエル。

 この現代の小説が、かつて馴染んだドイツ文学の伝統の中にあることが、私にはなつかしい。それは、「自省的」とでもいうのだろうか、自分の行動と内面の動きを見つめ続ける物語だという点だ。ゲーテの「若きウェルテルの悩み」、ヘッセ、カロッサのすべて。トーマス・マンの「魔の山」、そんな伝統につながっている。しかし、いきなり15歳の少年と38歳の中年女との性愛から物語が始まるのは異色だ。その後の物語展開は、もっと異色だ。しかし全体が、主人公の男の成長物語(ビルドゥングス・ロマン)であるというのは、やはりドイツ文学だ。

 語らいのほとんどない、性愛だけの生活に、ある時から言葉が入ってくる。それは「朗読」である。彼女と愛し合う前に、あるいは後で、学校で習っている文学作品やホメロスの叙事詩などを、彼女に朗読して聞かせる習慣が始まるのだった。これが「朗読者」のタイトルにつながる。ただこのときは 「坊や、あたしは自分で読むよりあんたが読むのを聞きたいわ」 とのハンナの願いを入れての朗読だった。いずれその理由と、それがハンナの一生の運命を左右した秘密に関係していることがわかってくる。

 朗読し、シャワーを浴び、愛し合い、それからしばらく一緒に横になる。これが15歳の少年と36歳の女との、もっとも幸せな時期だった。その延長の中で一緒に何日もの泊りがけの自転車旅行(母子として泊まる)にまで出かけている。少年は、人生の出発点に立つか立たないかのうちに、女への深い愛の虜になっていた。

 しかし少年に対するハンナの気持は分からない。愛であったのか。絶望的な人生の岐路を前にして、性愛に救いを求めていただけなのか。たまたま都合のいい少年相手だったのか。

 男はこう書いている。「ぼくたちは共通の世界に生きているのはなくて、彼女が自分の世界の中で与えたいと思う場所をぼくに分けてくれているだけだった。」

 やがて少年は、彼女が何かひどくプレッシャーを受けていること、苦しんでいることを感じるようになる。何か、わからない。そしてある日突然、彼女は姿を消す。

 愛の対象と、充実した生活時間の、突然の喪失は、耐え難くつらかったが、跡の追いようがない。その苦しさは時間が解決してくれて、少年は大学に入り、法学を専攻する。

 彼女の失踪から5年後。強制収容所の看守を裁く裁判 (アイヒマン裁判(1961)以降、アウシュヴィッツ関連の、たくさんの裁判が行われた、その一つだろう) をゼミの課題として傍聴に行き、そこで43歳になったハンナが被告として裁かれているのを見る。1960年代の半ばのことである。彼女は強制収容所の女看守だったのだ。男は、毎日のように裁判に通う。ハンナは硬い態度で裁判に臨み、男の傍聴を無視する。男もいまや彼女に何も感じない。淡々と裁かれる彼女を見続ける。被告席と傍聴人席との間に何の感情の交流もない。

 彼女の罪に同情もできず、さりとてほかの人と同じように非難をする気にもなれないまま、ただ一介の法学生として、この裁判の主題そのものにのめり込んでいく。すなわち、ユダヤ人絶滅計画という途方もないものの片棒を、それも組織の末端で担いだ人たちを、後の人間が裁くという問題。一方では正義と民族の責任感を感じ、他方では疑問と割り切れなさを感じていく。男は、自分をも、周りの観察者をも共通して一種の「麻痺状態」が捉えていることに気づく。その当時の当事者にも、彼らの行為を今裁判の場で聞くものにも、「強制収容所」という出来事は、人間としての現実感を失わずして耐えられるようなものではないことに気づく。彼もその「麻痺状態」のなかで彼女を見つめる。

 彼女、ハンナは、ジーメンスで働いていた21歳のとき、親衛隊の募集に応じ、強制収容所の看守になる。アウシュヴィッツやその支部組織で働いた後、戦況の悪化とともに、囚人たちを西へ移動させる途上、事件が起きたのである。囚人たちをある教会堂に泊めた夜、爆撃と火災で、囚人たちの大半が死んだ。その生き残りがアメリカで本を出版し、その夜の看守たちの対応が悪かったために、大災害となったと告発する。男の衛兵や看守は逃げ、女看守数人だけ取り残された状況でのどうしようもない事態だった。

 裁判はハンナにとって最悪の展開となる。彼女は自分の正当性を主張しようとしたわけではないが、事実歪曲には激しく反論し、正しくあろうとして、それにこだわりすぎ、悪い印象を与える。しかし、彼女は、下っ端として命令に従ったまでというような逃げをやらずに、積極的に罪状は肯定した。それをいいことに、他の被告たちは、彼女に全部の罪を押し付けた。彼女が、収容所で、若い囚人の中からお気に入りを作っていて、その子に、夜、自室で朗読をさせていたということまで、悪い方向の証拠になった。やがて、事故当夜の出来事の報告書のことが問題になり、その間違いだらけの報告書を書いたのがハンナだということにさせられてしまう。筆跡鑑定をしようということになったとき、彼女は突然態度を変えて、書いたのは自分だと認めてしまう。

 ある日曜日、野山への散歩の途中(野山への散策を愛好し、それを美しく叙述し、思索と自然とが混然とするところが、いかにもドイツ文学らしい)、男は、はたと気がつく。ハンナは読み書きができないんだ。しかもそれをひた隠ししてきた。それで彼女の奇妙な振る舞いが理解できると。このことがこの物語の鍵である。ヨーロッパには、結構文盲がいるらしい。貧しい国に育ち、他国へ流入したような人たちに特に多い。彼女もルーマニアに育ち、ドイツに来た。

 彼女は文盲だった。だから彼女は人に朗読させたのだ。読めないけれども読書はしたかったのだ。二人の間でメモが通じなかったり、不思議なことがあったが、これで氷解する。ジーメンスでの昇進を拒否して、親衛隊に入ったのも、少年の前から姿を消したのも(電車の車掌として字が読めないことがばれそうになった)、裁判前の取り調べで彼女に不利な調書に署名したのも、報告書を書いたと認めてしまったのも、みんなそれが原因だったのだ。彼女の一生は貧困ゆえの文盲のもたらした悲劇だった。

 彼はこの発見を裁判長に話しに行くべきかどうか迷う。父と相談する。この父は大学の哲学の教授だった。本人がそれでよしとしていることを、他人がお節介してはいけない、というのが、父の意見だった。彼はためらったあと、裁判長に会いに出かけるが、そのことを話せないまま、法律志望の若者としての世間話をしただけで帰ってきてしまう。

 裁判が終わり、判決が下る。彼女が罪を着せられ、無期懲役となる。他の被告は軽くすんだ。彼に特別の感慨もない。

 やがて彼には普通の日常生活が戻り、司法修習生の頃、同じ道を歩む女性と結婚する。娘一人を持ったが、5年で離婚する。妻と愛し合いつつ「何かが違う」という思いを消すことが出来なかったのが原因だった。男は、ハンナの失踪以降、そして裁判を経て牢につながれてしまった後では一層、彼女を遠い存在とみなそうとしたが、結局、生涯ハンナから解放されることはなかった。

 彼は、ハンナの裁判の苦い経験から、裁判官にも、弁護士にも、検察官にもなれないと自覚し、法制史の学者として身を立てる。

 彼女をとうに忘れていたはずのある日、急に思い立って朗読を始める。それをカセットに録音し始め、ずいぶん長い間ためらったあと、服役中の彼女に送り始める。彼女が服役して8年も経っていたときだった。それから始めて十年間、あくことなく朗読し、テープを彼女に送る。4年経ったところで彼女からメッセージが届いた。短いものだった。「坊や、この前のお話は特によかった。ありがとう。ハンナ」 彼女はたどたどしいながら書けるようになったのだ。感激的なシーンである。

 朗読カセットと短いメッセージの交換が続いた。服役18年で恩赦があり、彼女は出獄することとなった。ほかに身寄りがない。刑務所長から頼まれ、彼はハンナの社会復帰を助けることになる。彼はいつまでも朗読者という遠い立場でいたかったが、アパートと就職口を用意し、出所1週間前に彼女を訪ねていく。二十数年ぶりの対面である。彼女はもう一人の老女だった。短い会話を交わし、来週の出迎えを約束した。それが最後だった。

 出所の朝、彼女は首を吊り、自殺した。彼女の部屋には、彼が送り続けたカセットテープがきちんと整理されて残されていた。それに彼が高校を卒業したとき、何かの賞を校長から受けている彼の写真。どこかの地方新聞から切り取って大事にとってあったものらしい。彼女の彼に対する愛の形見みたいだ。

 それから十年経って、男はこの物語を書き始めた。一人の女性と関わって、50歳。いくつかのバージョンを書いたという。その一つがこれ。ほかのバージョンもありえたという。これはきっと、静かな諦観に満ちたバージョンのほうだろう。

 男の彼女への対応はもどかしいと、読者は感じる。18年間、いくらでも面会に行ってあげることが出来ただろうに。朗読テープに、個人的な気持を吹き込むことだって出来ように。彼女が字が読めるようになったことを知ったあと、どうして彼女に手紙を書かなかったのか(実際あとで彼女は手紙を待っていたことを知らされる)。しかし、一旦別れたあとの彼女は遠い存在だった。彼女は彼を拒否していると感じていた。それは分からなかったが。

 出所の朝、なぜ彼女は自殺したのか。彼と再び生活することをどうして拒否したのか。少年時代の彼との甘い生活、その後の贖罪の生活。それで自分の生涯は完結した。それ以上はいらないということなのか。

 ナチの時代とその戦後、歴史が個人の生活を大きく支配した時代だった。その片隅での悲しい、しかし凛として自分らの運命を受け止めた男と女の物語である。二人を、別の時代のもっと幸せな生活の中に置いてあげたいと思わずには、巻を閉じがたいが、それでは、この物語はない。

http://homepage2.nifty.com/aquarian/RecentBooks/Rctbk010121.htm

2008年11月5日 星期三

Four Days in September

在對的時間,對的地點,做對的事


1964年巴西發生軍事政變,翌年政黨被解散,1968年巴西完全被軍政掌控。軍事執政團控制巴西發佈憲法第五條終止新聞自由及所有人民的權力。

市民表達不滿的情緒逐漸形成街頭的示威活動,「高喊獨裁下台,團結就是力量!」但在軍政府的徹底管制報道下,示威抗議活動並無法擴及到全國各地,消息被封鎖在國內,故無法傳遞到海外。「只有走上暴力革命!」
幾名滿腔熱血的巴西青年為了反對當時的獨裁軍政府加入武裝部隊十月八日組織(MR8)學習用武力來挑戰政府的威權。首先,他們去搶劫銀行籌措資金,美其名為“財產轉移”。

所有新聞媒體除了播報銀行搶劫事件外,完全遺漏
在銀行行搶中,這群充滿理想的熱血青年,一面高舉手槍一面對著銀行內的客人和職表達政治訴求的一幕。主角費迪南認為必須仰賴外國政府和國際媒體達成自己的政治訴求,於是想出綁架美國大使藉以要脅政府釋放政治犯的行動。 可是,當他們兩者都達到目的之後,還是逃不過特務機關的圍捕而紛紛落網,成為另一批被交換的政治犯物件。

【故事開始】


1969年7月20日,3名巴西青年人看著電視上正在轉播美國太空人登陸月球的畫面。

其中一名說:登上月球,卻找不到半個笨蛋可殺!
另一名說:別談月球了,來談談地球吧!有幾百個被虐待的政治犯...

西薩 : 你要跟我們一起加入武裝部隊嗎?
職業演員的好友 : 你開過槍?你射殺過一隻鳥嗎?
殺人是犯罪的行為,你要去對抗軍隊?要自殺。可以去跳樓阿!
我是個演員,我愛現,你也很愛現!

<<現在是革命時代>>

職業演員的好友 : 你不後悔?你會沒家,沒姓,什麼都沒有,小心別被宰了,再見!
(加入武裝部隊)男主角費南度 : 我們不會再見面了...

---於是,3名巴西青年人的其中2名加入武裝部隊---

第一件事,你們互相認識嗎?
這些人都曾參加過學生運動
你們互相知道名字嗎?
現在你們開始用假名
不喜歡你的新名字?列寧也不叫列寧,他們就是這樣創造歷史的。
---10月8日革命運動的領導者之一---
我們宗旨是對抗巴西的獨裁政權,許多同志都被逮捕,有些人死了,有些人在牢裡被軍方刑訊,這一切也可能是我們的命運,所以我想說,這是革命組織,有一些紀律,而紀律必須被遵守。

Step 1:射擊訓練

奧思瓦度(主角費南度的朋友): 射擊比我想像的容易...
領導者瑪莉亞 : 目標射擊比較簡單,槍殺一個人需要點勇氣...主角費南度文筆好,但槍法不準,不會開車,意見多,不聽從命令。

Step 2 : 搶劫銀行,財產轉移

這不是搶劫,這是革命性的財產轉移
因為這家銀行支持血腥的獨裁政權
許多同志在牢裡被軍方刑訊,你們不知道吧!
那是因為新聞被控制了,去告訴大家所有的事!
我們是"MR-8(10月8日革命運動者)"


銀行搶案中,"美中不足"奧思瓦度因猶豫不決,沒有勇氣立即槍殺警衛而成為唯一被逮的搶匪。

保羅(費南度)擔心好友奧思瓦度的安危,意外交他的真名:西薩脫口而出。
瑪莉亞:西薩15分鐘內就會招供,軍方也許已經知道你的名字了...

Step 3 : 綁架美國大使

保羅(費南度) : 沒有觀眾的勝利,就不是勝利,我們真正要做的是,一件能對抗新聞檢查的行動!
綁架大使,全世界都會知道,報紙,收音機,電視都會聽到我們的聲音...

Step 4 : 視察美國大使館周邊環境與美國大使出勤時間

Step 5 : 請來國家解放組織指揮綁架行動。托多與喬那,兩名曾經參與過聖保羅行動與西班牙內戰,恐怖行動經驗豐富的專家。

喬那 : 我常話短說,我無意領導這次行動,是你們要我來的,我來發號施令,你們要義無反顧地遵守,不准又任何問題,我們會是一個有制度,唇齒相依的團體,不容許任何猶豫。
若有人有異議或是躊躇不前,我會先殺了他,既使有第二人,我也會殺了他...

Step 6 : 美國大使綁架成功

致巴西人民公開信:

革命組織綁架美國大使艾比克先生
將他藏匿在鄉下
他將是我們的人質
大使的生命操縱於獨裁政權的手中
如果他答應我們的要求
大使將重獲自由
反之,大使將被處決掉

我們要求如下:
一,釋放15名政治犯,並將他們遣送到墨西哥
這些革命志士曾被軍方刑訊,被污辱,被滯留在獄中

二,這封信必須在國內之各大報紙,廣播和電視台被登出
15名政治犯必須被釋放,無論他們是否已被判刑
我們明白這次特殊要求
但我們深信檢察官會對我們的要求讓步
獨裁政權必須在48小時內回答並接受我們的提議
這個期限將不會被延期
我們會毫不遲疑執行我們的威脅
任何人想要繼續傷害或殺害我們的同志
得有心裡準備
從今以後我們會以牙還牙

"MR-8"(10月8日國家解放組織) 草

Rio_de_Janeiro郊外住宅街的其中一棟。
炙烈陽光被百葉木窗遮擋,黑暗的一室,美國大使就被監禁在此。NR-8的革命組織成員輪流看守大使。

保羅(費南度) 出門購買革命組織與美國大使一共8人的晚餐,路過戲院門前與演員朋友不其而遇。
保羅(費南度) : 身在19世紀的感受如何?
演員朋友 : 比你的綁架劇更接近真實...
保羅(費南度) : 並不是每一個人都躲在娃娃屋裡...

美國大使寫給愛妻艾維拉的親筆信 :

這幾天讓我看到的這些人
讓我想起某些犯罪
我看不到他們的臉
但我可以看到他們一直握著槍的手
有一隻仍滿佈著孩子斑點 我幾乎確信這是玩危險遊戲小孩的手
我從未聽過他的聲音
而且我也不願承認這個盲從的小孩竟是大家害怕的壞人

另一隻農夫的手反而和槍蠻配合的
我想這是威脅要刑訊我的那個聲音的手
那個充滿仇恨的聲音及他們無可令人容忍的決心
是這個殘酷世界的產品

這隻手是幫我繫上繃帶的女孩的手
幫我洗襯衫的人 這個舉動 真的讓我感動
可惜如此一雙巧手 竟然握著冷酷的武器

再來是吸血鬼之王 一個利用小孩的老人
一雙經過革命 且身居要職的手

這位特殊保鏢(即男主角費南度)最引起我的注意
他較喜歡讓我戴眼鏡 而不喜歡戴頭套
我認為他需要別人對他尊敬 而非識他為一個單純的恐怖份子
他相當有教養 也喜歡討論他相信的事

美國大使與費南度的對話 :

費南度 : 所以你支持獨裁政權?
美國大使 : 依我個人的想法,我的國家不應該支持貴國未經民主方式成立的政府
這種政體一定不會持久,終究人類是反對暴力

Step 7 :
綁架行動成功,巴西政府釋放15名政治犯以交換美國大使之性命。

當他們兩者都達到目的之後,還是逃不過特務機關的圍捕而紛紛落網,成為另一批被交換的政治犯物件。結尾是一張笑中帶淚的大合照。

O que É Isso Companheiro?
http://tw.youtube.com/watch?v=9iD9skE6l-o&eurl
導演 : 布諾巴納多(Bruno Barreto)
編劇 : Fernando Gabeira / Leopoldo Serran
主演 : Alan Arkin / Fernanda Torres / Pedro Cardoso
上映年度: 1997
製片國家/地區:巴西/美國
又名:九月的某四天

巴西:獨裁黯夜之光

數個南美洲國家在20世紀都曾歷經軍事獨裁時 期,例如巴拉圭(1954年至1989年)、烏拉圭(1973年至1985年)、智利(1973年至1990年)、阿根廷(1966年至1973年、 1976年至1983年)、巴西(1964年至1985年)等,其中巴西與其他國家不同的是,當時的加害者從未遭到審判,因為政府在1979年通過特赦 法,赦免軍方將領與民間人士以獨裁為名的所有罪行。

不過巴西最近首度發表有關當時犯行的官方報告,其中細述綁架、強暴、虐待、處決、秘密埋屍等,此份500頁的長篇報告名為《記憶與真實之權》,由國家政治死亡暨失蹤委員會著手調查,前後共費時11年,「人權觀察」組織讚揚巴西向前跨出一大步。

美國駐巴西大使被綁架,1969年9月3日:美國駐巴西大使查爾斯•伯克•埃爾布里克被"馬克思主義革命組織MR-8"綁架。

巴西聯邦共和國
建國簡史
1500年4月22日葡萄牙遠征隊抵達巴西,16世紀時葡萄牙在巴西建立殖民地。
法國大革命後,葡萄牙本土被拿破崙軍佔領,葡后瑪麗亞(Maria)與攝政太子約翰(Don Joao)於1808年避難巴西,1816年瑪麗亞逝世,約翰即被推為葡萄牙國國王,1821年返葡就位,太子彼得(Pedro)留在巴西攝政。
後於1822年9月7日宣佈脫離葡萄牙獨立,繼又宣佈為巴西帝國皇帝,稱彼得一世,此一帝國延續67年傳其子彼得二世。1889年11月15日軍方發動政變,推翻帝制成立巴西合眾國。
1964年3月31日,軍方政變後實施獨裁統治。1967年改國名為巴西聯邦共和國。

2008年9月9日 星期二

Nobody Knows



8/31日在日本網頁上看到男優(男演員) 柳楽優弥YAGIRA YUYA 因服藥過量被緊急送往醫院的新聞時,頓時喚起他的處女作『誰も知らない』=Noboday Know這部電影的記憶。

讓這位當時年僅14的日本少年以黑馬之姿奪下坎城影史上最年輕影帝的電影片名『誰も知らない』(Noboday Know)是根據日本1988年發生在東京的<巣鴨子供置き去り事件>改編成的電影,敘述被不負責任的母親遺棄的四個小孩,柳楽優弥扮演劇中大哥,在他的的帶領下自力生活。

這位不負責任的母親在1988年案發當時年40歲,川崎的私立高中畢業後就讀服裝專門學校。年輕時想成為一名歌手,實際上也發行過幾張唱片。

1968年(昭和43年)在一家百貨公司打工,與一名男性同事開始同居生活。女方父母極力反對兩人結婚。兩人產下一子送給他人扶養。

1973(昭和48年),母親與又在東京足立區產下一子,但母親因「非婚生子女不敢去報戶口」。這個"長子"在事件被揭發當時是14歲的少年。少年被問及父親時,回答「不知道」。(後來母親向警方表示她與不同男性產下5名孩子,但至少與3名男性之間生了6個孩子。除了被送給人扶養的孩子和14歲的"長子" 外,其他4個小孩都是在家裡自力生出的。)

母親帶著小孩們在東京各地到處搬遷居無地所,為了勉強糊口也做過小偷和賣淫,曾經被警察逮補過。

1981年(昭和56年)長女出生(當時7歲)。

1984年(昭和59年)9月次男出生。1985年(昭和60年)2月,母親下班返家時,發現這個6個月大的嬰兒已經含著奶瓶死了。如何處理嬰屍束手無策,遂將孩子的屍體藏在自己的住處。母親向"長子"撒謊 :「弟弟託給叔叔扶養」。

1985年(昭和60年)同年又產下次女(當時3歲)。

1986年(昭和61年)7月產下三女。

1987年(昭和62年)9月,住家從大塚車站附近遷居到西巢鴨。次子的屍體被裝進塑膠袋內,搬家時屍體被放在旅行箱內。西巢鴨的公寓是面向街道的四層樓鋼筋建築。他們住在2樓,1樓是24小時營業的便利商店。

母親謊稱 :「我在百貨公司上班,與兒子(長子)兩人相依為命。兒子就讀於立教初中。丈夫在數年前身故」,這些謊言取信於房東後就順利搬進公寓。因此房東在案發前,完全不知道屋子裡還住著其他小孩。

母親忽衍"長子"說 : 「目前無法讓你上學,情非得已,我會想辦法將入學手續辦妥,到時候你就可以和其他的小孩一樣去學校上課」,於是從市面上買來的參考書給"長子"做練習。(案發時,"長子"只會用漢字寫姓氏,至於名字的部份還是用平假名拼出來的)。

1987年(昭和62年)秋天,母親又結識到一名住在千葉縣浦安市的冷凍食品銷售業(56歲),從此一直逗留在新情人的住處不回。根據"長子"的敘述,那年秋天母親以「要到大阪出差」為由離家,偶而匯款2~3萬日元回家,偶而也會回家探望小孩。

1988年(昭和63年)的新年是母親最後一次返家。母親漸漸覺得這群小孩是自己追求幸福的絆腳石,終於留下千葉縣的地址給"長子"之後,一去不復返。

"長子"後來向警方敘述有一名男子偶而會來住處尋問他們過得好不好,但"長子"並不知道這名男子是母親的情人還是是自己的父親。

母親從家庭"蒸發"之後,"長子"一肩扛起兄帶母職的角色,要做飯,洗衣,換尿布。因為每天都會來便利商店買麵包和飯糰,冰淇淋等。案發後店長回憶說「有時是深夜2,3點來買,有時是上學的時間來買,我也覺得很怪異啊」。

1988年(昭和63年)11月"長子"結識兩名念國一的同齡朋友,兩人經常到家裡來玩。

"長子"繳清了1988年1月為止的3個月份的房租(27萬日元),但是2月以就沒錢再繳房租,連瓦斯水電也都被切斷了。

4月21日中午左右,來家裡玩的2個朋友的其中一位發現前一天買的泡麵不見了,看到三妹(2歲)的嘴角有海苔,"長子"(也可能是朋友)懷疑是三妹偷吃的,於是對2歲的幼童拳打腳踢。事發後,這兩名朋友與"長子"向警方承認「3個人都有出手打自己的妹妹」。

"長子",一個連自己身心都未成熟的14歲少年,還要照顧(包含已經死亡的么妹)3個幼小的妹妹,於是為了便於管教,不聽話時就會動手體罰。

三妹22日上午8點半左右死亡。後來"長子"的律師陳述「根據三妹死亡的致命傷,是被長子的朋友從壁櫥上摔下來好幾次所致」。

26日"長子"與這兩名朋友一起用塑膠袋裹住三妹的遺體後塞進旅行箱,3人拖著旅行箱搭上電車,夜晚11點左右將旅行箱丟棄在秩父市大宮公園的雜木林。

7月17日房東因房客「父母不返家,住處已成為不良少年聚集的場所」向警方報案。巢鴨警員
上門查訪,出來應門的是長女和次女。房東拿出香蕉和飯糰時,兩名小女孩狼吞虎嚥的樣子活像隻貪吃的猴子。

18日上午10點,警員和兒福中心的社工再度來訪,一進門看見兩個妹妹裹著毛毯睡在餐廳,"長子"穿著睡衣睡在6帖大的塌塌米上。兩個小女生身體看起來非常衰弱,尤其是3歲的次女簡直瘦得只剩皮包骨。

屋內窗簾子緊閉,衣服散亂屋內。廚房殘留著發霉的剩飯。該有的基本家電一應俱全,用電鍋煮飯,熱水瓶上有被濺到味增湯的痕跡。冰箱裡有胡蘿蔔,洋蔥,洋白菜等。洗衣機裡放著待洗的衣服。

妹妹說「想要吃麵包」,於是將社工帶來的麵包和牛奶吃得津津有味,吃完後意猶未盡,又想吃冰淇淋和巧克力等其他甜點。後來兩個妹妹被寄養在新宿區的兒福中心。

21日早上,"長子"在朋友父親的陪同下來到兒福中心,但因房間不足被轉到八王子的兒福中心收容。當時"長子"臉色和身體狀況尚稱健康。

23日,住在千葉縣情人住處的母親說:「看到電視新聞報導時,想要自首。但是又怕讓只有國中年紀的哥哥照顧妹妹這種家醜外揚」,後來母親依遺棄保護者的罪嫌被緊急逮捕。據說母親被捕當時,臉上看不到眼淚。母親向警方表示,除了被發現的三個小孩外,還有一名小女孩。

25日,"長子"向警方供述將三妹致死棄屍的經過,長子依傷害致死和棄屍的罪嫌遭逮捕。後來兒福社工說「當這孩子將"不能說的祕密"全盤脫出後,不安定的眼神顯得平靜許多。當警察從秩父棄屍現場勘驗回來的時候,長子的表情像是卸下了沈重的擔子一樣。」

社工又說:「我感覺這小孩其實本質很善良。沒有受到社會的污染,扮演母親的角色努力活著。但是後來遇到同齡的朋友,照顧弟妹變成一種沈重的負擔...」。

8月10日,東京地檢署將"長男"依傷害致死、棄屍等罪名送交東京家庭裁判所。「如果不是母親放置不管,這場天倫悲劇也不會發。長男沒有戶籍,沒有受教育,需要接受特殊管教」,因此長男不是被關進少年監獄而破例被送進感化院。

10月26日,法官依「逃避養育子女之責,任性至極的個性造成第三個女兒致死的遠因」判母親有期徒刑3年,緩刑4年。

判決理由當中,有關緩刑部份,法官解釋:「身為母親絲毫沒有自覺要幫孩子登記戶籍,讓小孩到學校接受教育,如果繼續放任孩子不管,恐會危急小孩的生命。放棄身為父母應該負有的責任,罪行雖然重大,但考量母親發誓要與同居者結婚,一切重新出發,因此決定給予一次自力更生的機會」。

http://tw.youtube.com/watch?v=KWRRoV7wH3g
一位十四歲的日本少年 柳楽優弥在2004年第57屆法國坎城國際影展中大放異彩,奪下坎城影展最佳男主角獎,也成為坎城影展最年輕的影帝,也是日本首位在坎城影展得獎的演員,並被美國《時代週刊》選為2004年亞洲英雄,表揚他在電影專業上的精湛演出。(當年與這位少年角逐影帝的東方演員就是2046 的梁朝偉。)

http://www.kore-eda.com/daremoshiranai/story.htm
http://www.stardust.co.jp/profile/yagirayuya.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Nobody_Knows_(2004_film)
http://en.wikipedia.org/wiki/Affair_of_the_four_abandoned_children_of_Sugamo

2008年6月8日 星期日

Faithless

片名 : 狂情錯愛 Faithless
導演:麗芙塢嫚 Liv Ullmann
編劇:英格瑪柏格曼 Ingmar Bergman
演員:Lena Endre (飾女主角Marianne 瑪麗安 ),
Erland Josephson (飾老編劇Bergman 柏格曼),
Krister Henriksson (飾老公擎友David 大衛),
Thomas Hanzon (飾老公Markus 馬克斯)
入圍2000坎城影展, 2000歐洲電影節最佳影片提名

【本事】

一般的挫折
生病,破產或工作不順
都不像離婚這麼傷人
它貫穿所有的痛苦
深入生命最深處
深到人一生都觸不到的底層

影片一開始透過一名獨居在海邊的老編劇(也姓柏格曼)的想像,將醞釀劇本的過程具體化,幻想著出現一位女演員瑪麗安,透過語言的辨證與敘述,老人似乎有了靈感,但也逐漸掉入過去的追憶。

故事的劇情人物很單純,瑪麗安是一名劇場演員,她的丈夫馬可斯是享譽國際的指揮家,兩人育有一名九歲的女兒依莎貝,原本和樂溫馨而充滿了愛的家庭因為他們共同的朋友劇場導演大衛常常造訪而增添更多的愉悅。

大衛與瑪麗安獨處的一夜,大衛唐突地丟出一句做愛的請求,瑪麗安認為她與大衛上床是不可能的事,因此覺得荒謬而大笑,殊不知已經燃起之後的激情,以致當訊息出現時,她甚至表現得比大衛更積極,率先在巴黎安排了兩人幽會的行程。

人的情慾始終是躁動不安的。表象上的平順無浪,是道德與社會規範使得人理智壓抑那份妄念。當機緣成熟之際,一切看來是如此自然,於是原本壓抑的因子就會在瞬間爆發。當慾望如洪水氾濫之際,終將衝破一切體制的閘門。

瑪麗安與大衛一直浸淫在激情中,沒想到兩人在大衛的屋內被馬可斯逮個正著。
馬可斯,他兩個最好的朋友背叛了他。
他的憤怒從一開始爭奪監護權延續到性交換時的狂爆,企圖與女兒一同 自殺、到最終吞安眠藥自殺身亡。

馬可斯是一位國際級的音樂指揮,但他的心性卻也不時釋放 出屬於野獸的狂暴撕裂。在床上對瑪麗安的狂暴佔有;又在爭奪女兒監護權時,向前妻瑪麗安提出以性交換馬可斯手上的女兒監護權,此事反而讓她與大衛的新婚姻也破碎了。
難道人類自以為美好的音樂其實也始終無法薰陶人性最原始的慾望?

女兒承受著父母破碎婚姻的痛苦與孤單。

馬可斯與他的女兒 關係一向親近,連瑪麗安都難以介入,當馬可斯決定自殺的前一晚,問他女兒願不願意跟他一起死,女兒答應了,但是隔天卻後悔,遲遲未出現。馬可斯打電話告訴 她「後悔是很正常的,不必因此感到愧疚。」
後悔是很正常的,承諾才顯得如此不易,所以背叛的故事從古至今不曾間斷。
柏格曼本人也經歷了好幾次離婚,好幾次 與他電影的女主角結婚又離婚,本片導演麗芙‧鄔曼即為其中之一,這部電影劇情即使是虛構的,但是想必他們也曾經歷過其中角色的情感。

【電影中男人1/大衛】

我有一個毛病叫往事忌妒症
我們因患難而相聚
我們哀悼失去的感覺
造成萬劫不復的友誼

大衛他拋棄了過去的家庭,性情憂鬱古怪而 善妒。
大衛的再婚建立在瑪麗安背叛前次的婚姻。
而他的嫉妒,完全無法忍受對方的(瑪麗安和前夫性交易以取得女兒監護權)不貞。
大衛在事發生許久後說:「她最需要我的時候,我卻讓她失望了。」

【電影中的男人2/馬可斯】

馬可斯一直背著妻子瑪麗安長期與粉紅知己往來。當他知道妻子與大衛有染,起初以為這件事是一種無可避免的激情,他希望也相信兩人的出軌很快會因激情退失而結束。但顯然馬可斯的估算是錯誤的,瑪麗安與大衛不但沒有激情退失,反而是變本加厲。一直背叛妻子的丈夫再也無法忍受妻子的背叛。

【劇情大要】

電影開始時,老人在寫東西和面前的一位女演員談話。隨著故事發展,觀眾發現這個女人其實並不存在,是老人的幻想來幫助他寫故事。

劇場女演員瑪麗安與指揮家丈夫馬可斯、女兒一家和樂,丈夫好友大衛也是家中的座上客。
瑪麗安得到獎學金前往巴黎進修,大衛也因為籌拍電影到巴黎洽談公事,兩人在浪漫的巴黎產生情愫,進而發生關係。

馬可斯提出離婚的要求,並且堅持要擁有女兒的監護權。為了女兒的監護權兩人對簿公堂。一晚丈夫要求見面,並以一次的性關係交換監護權,瑪麗安無奈的答應,回家後被大衛逼問後引起大衛狂怒,新的婚姻關係又產生無法彌補的裂痕。

官司終於有了定案,女兒歸瑪麗安;馬可斯雖然有探望女兒的自由,卻始終不曾聯絡。瑪麗安打電話給馬可斯,馬可斯這才邀女兒到他住處吃飯,但同時也向女兒提出一件可怕的計劃。馬可斯要自殺,希望女兒也陪他,依莎貝答應了,但到約定的日子卻反悔了。

馬可斯還是仰藥輕生了。馬可斯的女性密友瑪格麗塔送他到醫院急救但回天乏術。而瑪麗安與瑪格麗塔見面後才知馬可斯早在多年前就與瑪格麗塔有了婚外情。

劇情最後瑪格麗因大衛與電影女主角有染,萬念俱灰下溺水結束生命 ,大衛則一輩子都在罪疚中度過。

本片運用了大量的對白,透過劇情的鋪陳,夾雜過去與現在的追憶,編織出一部介於虛與實之間情慾糾葛的電影。

【延伸閱讀】
http://www.imdb.com/title/tt0157122/
http://www.contactmusic.com/new/film.nsf/reviews/faithless
http://www.rottentomatoes.com/m/1104237-faithless/

2008年5月24日 星期六

Character



這是一部晦暗的劇情片,1998年為祖國荷蘭贏得金像獎最佳外語片。
故事發生在
鹿特丹,一名剛取得律師執照的年輕人Katadreuffe (Fedja Van Huet飾)涉嫌殘酷謀殺一名冷酷可怕的法官法遭到拘捕,在檢察官的盤問下,故事以倒述的方式,揭開死者與嫌疑犯之間灰色冰凍且看似深仇似海的父子關係。

Katadreuffe 的母親Joba (Betty Schuurman飾) 原來在冷酷法官Dreverhaven的家裡幫傭,某日法官強迫Joba與他發生關係,就這麼一次Joba懷孕了。Joba告知法官懷孕的事實並離職待產。法官打聽到母子的下落後,每月寄錢給Joba並向Joba求婚,但金錢的資助與求婚都被Joba拒絕了。

Katadreuffe在Joba嚴厲的管教下,學習控制情緒以應付同學們嘻笑怒罵這個私生子是"雜種"另一方面生性乖巧又求知若渴的Katadreuffe,平日勤讀殘缺不全的百科全書以減少母子沒有對話的尷尬。

Katadreuffe漸漸長大後,向銀行貸款頂下一間雪茄店,沒想到下了一夜的雨後,地下室積滿了雨水,急急忙忙搶救一箱一箱的香煙時,才發現裡面裝的全是稻草。Katadreuffe終於承認自己根本不是做生意的料,這一切只是為了逃避與母親的相處。

生意未作成Katadreuffe已經欠了一屁股的債,萬萬沒想到借貸給Katadreuffe 這家銀行後頭的老闆竟然就是那位冷酷的法官。
Katadreuffe未能即時還出錢,被告上法院而吃上官司,從此這對從未相認的父子就展開一連串比仇人的恩怨還要深沈的對抗.....
在這位律師支持鼓勵下Katadreuffe如願以償成為一名律師,其角色更像父親。

這名聰慧優雅的女子和Katadreuffe在同一個法律事務所工作,郎有情妹有意,只可惜Katadreuffe更專注於個人前途的發展而讓這名女子悵然離職嫁做人婦。多年後女子推著娃娃車散步巧遇Katadreuffe母女,不多話的母親對著兒子說:你真是個蠢才,失去這麼好的女孩....

http://www.oeff.jp/58_Karakter.html

2008年5月18日 星期日

Goldfish Memory

「你泡那些年輕美眉最好小心一點,
近來被你辣手摧花的小女生跑去跟老媽哭訴,他們要提出告訴。」
面對同事提出的警告,大學裡教文學的花心教授是現代版的《唐·喬望尼》回答說:
「心碎和玫瑰,月光一樣 都是初戀的一部份
我對這些女孩都是真心付出
我的行為受到愛情的控制
我讓他們在安全的環境中情竇初開
一旦愛情凋謝後 她們可以自由離去」
同事:「你真是太高尚了...」

教授:「愛像一條魚,其實人類也很像金魚,
我們每次戀愛都好像是初體驗,
腦中發生的化學變化,
讓我們把上一次分手的痛苦忘得一乾二淨,
心中只想著"太棒了"
"這是全心的戀情 這次一定不同"
就像女人忘記生孩子有多痛苦一樣。」

學生Clare:「好極了,我們永遠不會改變,學習或成長
只是不斷重複相同的錯誤 直到斷氣那一天為止,這有什麼意義?」

教授:「愛情」

教授拿出把妹法寶--一本浪漫詩集,
熟練地翻開第23頁
用感人的口吻朗誦詩集:
「週而復始
儘管我們對愛情地圖已瞭然於心
知道愛情院裡小小的墓園
對每個悲傷的名字瞭若指掌
和人們墜落得沈靜深淵」

三個月後,花心教授物色到下一個正妹,如法炮製他的金魚理論,功力未減。

沒想到被前一任正妹逮個正著,22歲的女大學生Clare沒有哭哭啼啼,留下一句「你遲早會變成良心不安的孤單老人」瀟灑離去。

「失戀」的Clare遇到女同性戀記者Angie 。
Angie:你有男朋又嗎?
Clare:Not really.
Angie:那有女朋友嗎?(Clare露出訝異表情)
我只是不想先入為主的認為你不是異戀者,你不是也沒關係。
你是嗎?
Clare:我不知道。
然後Clare在Angie的啟發下,發展為同性戀者。

Angie:我愛你
Clare:我不喜歡"愛'這的字
Angie:為什麼?
Clare:"我愛你"背後的意思是 你愛我嗎?你屬於我 諸如此類的狗屎。
100%女同性戀者Angie抓不住年輕善變的偽同性戀者Angie的心。

花心教授把妹功力失效後,回過頭來追曾經被他閒老的女教授,腸枯思竭許久的日子後,在真愛的激勵下文思泉湧,寫下浪漫詩篇。

光是愛你 我心足矣
將重溫舊愛的喜悅 留待日後細細品味
且看命運之手 如何形塑我對你的愛
若命運之手無法呈現你的完美
我的愛將因火的焠鍊而更加堅固
讓我像鋼般無堅不催
在流沙般的輪轉的歲月洪流中
我對你的愛將永遠不變
我將坦然面對物換星移
不畏即將來臨的黎明

這一幕是這部片子的經典,花心教授的前前女友Clare 模仿女同性戀記者Angie那一套,挑逗花心教授的前女友成為Clare的下一任女朋友。
窗外看見自己的兩個前情人互相接吻,花心教授是否也像一條游完一圈的金魚,忘記了她們是誰和誰?
電影最後一幕,Clare邂逅逃婚的教授(花心教授的同事),Clare模仿花心教授的名言對著教授說:
金魚的記憶只有短短的三秒鐘,每當繞完魚缸一圈,便是嶄新的開始,人類的愛情也跟金魚定律一樣,每當陷入一段熱戀,都會是嶄新的開始。


【愛像一條魚】Goldfish Memory
導演:Elizabeth Gill(Liz Gill)
Release Date: 2003.09.05(Ireland)
演員:
Tom by Sean Campion
Clare by Fiona O'Shaughnessay
Isolde by Fiona Glascott
David by Peter Gaynor
Red by Keith McErlean
Larry by Stuart Graham
Rosie by Lise Hearms
Renee by Jean Butler
Katte by Justine Mitchell
Helen by Aisling O'Neill
Conzo by Demien McAdam
Doorman by Tony Brown
Angie by Flora Montgomery
獲獎記錄:
http://www.imdb.com/title/tt0366527/awards
英文官方網站:http://www.goldfishmemory.com/

2008年4月27日 星期日

Bread and tulips

一次意外的旅程 我和愛情巧遇威尼斯
被遺忘在休息站上的家庭主婦決定自行去威尼斯走走,因此而走出嶄新的人生

旅行,是為了遇見美好奇蹟而存在的
蘿莎是個平凡的主婦,多年來,做為一個妻子和母親,不但丈夫、孩子忽略她,連自己都遺忘了自己的的存在。

在一次前往希臘的家庭旅行中,在高速公路的休息站上廁所時不慎將戒指掉入馬桶,為了撿戒指而被遺忘留在休息站上。而她的丈夫和兩個孩子竟然都沒發現她沒上車!
好不容易丈夫打電話到休息站,免不了一場爭吵,丈夫要她繼續留在休息站以便巴士回去接她。但羅莎遇上了一位獨立外放的女性,於是搭她的便朝直接往佩斯卡拉回家的路。

輾轉換了幾輛順風車,最後一輛的車主欲往威尼斯,羅莎這才想起她從未去過威尼斯,於是決定在那兒過一夜,然後再搭火車回去。

找到一家即將歇業的旅館,羅莎成了最後一位投宿的客人。饑腸轆轆的羅莎來到一家餐廳,侍者費南多言明只提供冷盤。

第二天羅莎被威尼斯吸引而錯過返家的火車,身上現今所剩無幾,只好硬著頭皮找費南多商量,費南多遂帶她回住處並讓出沙發給羅莎過夜。

羅莎享用過費南多替她準備的早餐,上路搭火車的途中,發現花店正在招募員工,一股莫名的衝動讓羅莎充滿理想主意的花店主人費莫錄用她。於是她又去投靠費南多,分得一間倉庫得以安身,並結識隔壁的按摩女郎雷桂霞,兩人很快成為好友。
這位仁慈的費南多卻是一個從冰島來的美食主義厭世詩人,早年當過歌手,因老婆偷情而犯下殺人的罪行,活在罪惡與痛苦中,好幾次正要在房間上吊自殺的費南多,都因為羅殺的誤入而打消念頭。
羅莎還發現費南多的衣櫃內有一把手風 琴,小時候爺爺曾教她彈奏,於是羅莎就順著費南多送她的唱片練習起來。
羅莎像是自籠中逃出的自由飛鳥,為了避免與老公爭吵,乾脆寫書信報平安,她沒那麼想念家人,但偶而還是會因為內疚與不安而產生家人出現眼前的幻覺。

羅莎對這位神祕的"房東"費南多非常好奇,於是某日起了大早跟蹤每天清晨就離去的費南多,發現他從一名女子處接過小孩並送去上學。羅莎原本以為小孩是費南多的兒子,而當女人和孩子找上門時,羅莎才知道女人是他媳婦。費南多說出他以前坐過牢,因為他發現朋友與他妻子有染遂拿刀刺傷他。
羅莎的丈夫巴雷塔是一名經營衛浴設備的商人,與情婦凱蒂的關係有5年。情婦說:要我幫你燙衣服?搞清楚,我是你情婦;不是你老婆!因故丈夫還是不得不趕快把老婆找回來。


第諾前來巴雷塔的公司應徵水電工,巴雷塔一看第諾的履歷寫著愛看偵探小說,於是像要利用第諾的長才派第諾到威尼斯將老婆找回來。第諾好不容易找到羅莎,卻與雷桂霞一見鍾情,不但隱瞞了事實且留在威尼斯與雷桂霞廝守一起。反倒是羅莎聽說兒子嗑藥,這才急急回家。

羅莎在威尼斯的短暫日子裡,她是感情世界片體鱗傷的按摩女郎雷桂霞的傾訴對象,她是頑固偏執的無政府主義花店老闆費莫的鬆弛劑,她更是無意間化解尋短的費南多的小天使,她的離去讓家都倍感寂寥。
費南多在失去羅莎後才發現自己是多麼愛著她,在第諾和雷桂霞陪伴下向花店老闆借車,開往佩斯卡拉向羅莎示愛。而返家的羅莎這才發覺自己的心其實早已留在威尼斯,於是帶著逃學的小兒子一起逃家奔向費南多嚮往的水都-威尼斯。


導演:西維歐‧索迪尼(Silvio Soldini)
演員:布魯諾‧甘茲(Bruno Ganz)
   莉西亞‧瑪格莉塔(Licia Maglietta)
   瑪琳興‧瑪西羅妮(Marina Massironi)
義大利 / 2000年出品 / 114分鐘
導演(Silvio Soldini)

導演:西維歐‧索迪尼(Silvio Soldini)在米蘭出生、成長。在1979年,他前往紐約大學就讀電影製作。1982年回到米蘭後,他開始和一群懷抱熱情的電影人接觸,他的製作團隊於是成形,其中包括參與他所有作品的攝影師路卡畢加斯。他製作的兩支低成本的短片【Paesaggio con Figure】、【Giulia in Ottobre】在數個國內及國際影展都讚譽有加。

1984年,索迪尼和他最好的同事合夥組了Monogatari公司,製作所有他的影片。在紀錄片的領域,索迪尼也十分活躍,1985年的【Voci Celate】拍攝醫院裡智能障礙者的一天,這部片當時在Salsomaggiore影展獲得大獎。1989年,他的第一部劇情長片【L’aria Serena Dell Ovest】在戲院上映,廣受大眾歡迎。

2008年4月12日 星期六

Himalaya 青藏鐵路

這是一個描素喜馬拉雅山上的一個部落的故事。
故事發生位於尼泊爾西北方一個名叫dolpo的村莊。這個與世隔絕的山村中,每年最大最重要的事,就是要帶著犁牛背著自己村莊的鹽,長途拔涉橫越整個山峰, 去另一個部落交換糧食。


故事一開始,聰明又有活力的年輕人卡瑪帶領牽犁牛隊回到部落,除了帶回全村的糧食外,也載回老酋長的兒子拉帕的遺體。
老酋長堅持長子的死是因為卡瑪想要篡位。又是一年一度的換糧之旅,老酋長不服老,堅持以酋長之尊,親自帶犁牛隊翻山越嶺到另一個村莊交換糧食的任務,於是到寺院去找當喇嘛的小兒子諾布相助。諾布本來不從,後來想起高僧的啟示:如果有兩條路,就選擇最難走的那一條。頑固好強酋長老爸聽了這段話,滿面豆花...
犁牛隊出發的良辰吉時,都得由喇嘛算星象來決定。所以老酋長是要依上天的指示才能出發。
看在年輕人卡瑪的眼中,簡直迂腐又宿命,便組合了村中幾個年輕力壯的小伙子就先出發了。

於是年輕的犛牛隊先出發,老酋長所帶領的"老弱殘兵"根據星象決定的日子延後幾天出發。
逞強的老酋長為了追上年輕的犛牛隊,選擇一點惡魔的捷徑,還好只犧牲了一條犛牛與兩包鹽當作是賣路費。終於兩支隊伍途中相會,年輕人卡瑪嘖嘖稱奇。
繁星點點的夜空下,老酋長使用古法測天候,鹽巴放在火上烤,吱吱作響表示好天氣,反之表示報風雪即將到來。放在火上烤的鹽巴沒有作聲,於是不管大家已經精疲力竭,老酋長堅持立即啟程以避開暴風雪。年輕人卡瑪寧願相信親自體驗的晴空萬里,才不在乎"鹽的預言",所以留下來繼續休息。
老酋長再堅強的毅力也無法戰勝衰弱的體力,終於落在人群之後不支倒在雪地上。幸好被一路趕上來的卡瑪救起。老酋長終於盡棄前嫌,讓卡瑪接任酋長。
這一段交換糧食的旅程,在老酋長的喇嘛小兒子的眼中,就像是一堂無價的人生課程,喇嘛回到寺院之中將這一趟行旅全部的過程畫在牆上,叫大家都記得這一次難得的成長旅程。

全片在青康藏高原上拍攝,風景壯麗 氣勢磅礡。本片原著配樂同時榮獲法國凱薩獎、影藝學院最佳原聲帶大獎本片原著配樂同時榮獲法國凱薩獎、影藝學院最佳原聲帶大獎。


編劇: Nathalie Azoulai, Olivier Dazat, Louis Gardel, Jean-Claude Guillebaud, Eric Valli
導演: Eric Valli
發音: Tibetan, German with English subtitles
演員: Thinlen Lhondup, Karma Wangiel, Lhapka Tsamchoe, Karma Tenzing, Gurgon Kyap
法國製片,發片時間: March 30, 2001


通往地域的鐵路:青藏鐵路

本月,從北京到圖博(Tibet)首都-拉薩,世界最高的鐵路最後一段完工後全線通車,這是中國在科技發展上成績斐然的最佳佐證。但同時也是圖博人民在自己 獨特的宗教,文化和語言的認同上,面臨來自中國嚴重威脅的開始。借用一位長期被中國監禁,最後死在獄中的圖博高僧的一句話,這條線路對圖博來說是「緊急狀 態和黑暗時代」來臨的前兆。

橫跨世界屋脊的鐵路,加速駐留在圖博的中國軍隊的擴大,加速天然資源的破壞與濫用,並加速流入圖博的漢人的增加,造成圖博人更邊緣化。在圖博首都拉薩,圖博人已經成為少數族群。

自1950 年中國侵佔圖博以來,數千圖博的佛教寺院和宗教設施遭到破壞,數十萬計的圖博人的生命遭到犧牲。現在,中共壓制宗教的手腕變得巧妙,無法被外界得知。許多修道院部分已 被重建,但通常只是淪為觀光客的旅遊景點。 圖博人簡直不可能獲得完整的宗教教育。 甚至放一張達賴喇嘛的相片,也會被當成犯罪遭判刑。

因鐵路工程的關係,許多圖博人因而失去了他們的土地,而遊牧民族被迫在城市中安頓。土地和宗教都被剝奪的話,圖博的文化就要消失。特別是土地本身就被視為是神聖土地的圖博。

儘 管自己的文化因這條鐵路的完成而遭到破壞,但大部分的圖博人不可能享受到這條鐵路所帶來任何的經濟利益。花了40億美元的青藏鐵路,成為中國在西域開發 政策上,最野心勃勃且代價最高的元素。但這項工程是以共產黨的舊策略和政治目的為基礎,鐵路建設的主要受益人將是留駐圖博的中國軍隊,中國企業和在當地定 居的漢人。在中國所掌控的的經濟環境下,大部分的圖博人無法接受完整的教育與漢人競爭,更別想要嚐到成功的果實。

對共產黨的精英而言, 青藏鐵路的通車是豐功偉業的象徵。-青藏鐵路的完工,就是達成了早在 40 年多前毛澤東想要併吞圖博的野心。悲哀的是,青藏鐵路的通車,強化了中共打壓圖博的政治環境。圖博自治區的共產黨書記,張慶黎說:共產黨要向達賴喇嘛和他的支持者們發動「決死一戰」。

中國國家主席胡錦濤在7月1日主持揭幕典禮, 青藏鐵路正式啟動。1980年 代後期,還是地區黨書記的胡錦濤,曾經對拉薩發佈戒嚴令,將數以千計的圖博人嚴刑考打和監禁。圖博人們沒忘記胡錦濤過去壓制圖博所扮演的腳色。胡錦濤更是 這項使圖博人陷入災難的圖博積極開發計劃的起草人。這項開發計劃以中國都市為藍圖,強迫圖博人漢化,完全不考慮圖博人在高原上好幾世紀的生活習慣。因此 達賴喇嘛憂心忡忡,不斷呼籲要有圖博人參與土地開發計劃。

真正的「大躍進」,應該是留給圖博人可以在經濟開發上活躍的空間,保護圖博人的宗教文化和認同,應該請達賴喇嘛來決定圖博的未來。 自從 2002 以來,在長達十年的外交僵局之後,北京和達賴喇嘛的代表之間進行幾次的協商,但是目前中國的承諾仍然充滿不確定。

以智慧和同情心為信條,提倡互相依賴和非暴力,這個圖博的寶貴文化和宗教深深根植在圖博這片土地和圖博人民的心中。

圖博的佛教知識應該在這片土地上永續生存這件事,對圖博人或對全人類而言都是非常重要。圖博的文化遺產不該在中國躍進的路程上被破壞殆盡!
Railroad to Perdition
By RICHARD GERE
Published: July 15, 2006
THE opening this month of the final segment of world’s highest railway, from Beijing to Lhasa, Tibet, is a staggering engineering achievement and a testimony to the developing greatness of China. But it is also the most serious threat by the Chinese yet to the survival of Tibet’s unique religious, cultural and linguistic identity. In the words of a well-known Tibetan religious teacher who died after many years in a Chinese prison, the railway heralds “a time of emergency and darkness” for Tibet.

This railway across the roof of the world will result in an expanded Chinese military presence in Tibet, accelerate the already devastating exploitation of its natural resources and increase the number of Chinese migrants, marginalizing the Tibetan people still further. In the capital, Lhasa, Tibetans are already a minority.

In the years after China’s invasion of Tibet in 1950, thousands of Tibetan Buddhist monasteries and convents were destroyed, and hundreds of thousands of Tibetans perished. Today the suppression of religion is more subtle and less visible to outsiders. Many of the monasteries have been partly rebuilt, but often they are simply showplaces for tourists. Obtaining a complete religious education in Tibet is usually impossible. Even having a photograph of the Dalai Lama is a criminal offense.

Many Tibetans lost their land to make way for the railway, and Tibetan nomads are being forced to settle in cities. Without land and religion, cultures disappear. This is particularly true in Tibet, where the land itself is regarded as sacred.

And even as their culture is undermined by the railway, most Tibetans are unlikely to enjoy any economic benefits from it. With a price tag of more than $4 billion, the Tibet railway is the most ambitious and costly element of China’s current drive to develop its western regions, known as the Great Leap West. But its construction was based upon the Communist Party’s old strategic and political objectives, and its main beneficiaries will be the Chinese military units stationed there, Chinese companies and Chinese settlers. Most Tibetans don’t have access to education that would allow them to compete in the economic environment created by China’s policies, nor are they welcome to share the fruits of its success.


The opening of the railway to Tibet could not have a greater symbolic importance to the Communist elite — it is the achievement of a goal set by Mao more than 40 years ago as part of a strategy to complete Tibet’s integration into China. And sadly, the opening of the railway takes place in an environment of intensified political repression. The new Communist Party chief in Tibet, Zhang Qingli, has said that the party is engaged in a “fight to the death struggle” against the Dalai Lama and his supporters.

China’s president, Hu Jintao, formally opened the railway on July 1. In the late 1980’s, when he was party chief of the region, he presided over the torture and imprisonment of thousands of Tibetans through the imposition of martial law in Lhasa. The Tibetans have not forgotten Mr. Hu’s role in the oppression of their people. President Hu was also personally involved in drafting the fast-track development policies that have been such a disaster for most Tibetans. They are based upon an urban Chinese model and do not take into account Tibetans’ needs, views or the way of life that has sustained them on the high plateau for centuries. The Dalai Lama has spoken frequently about the urgent need to involve Tibetans in the development of their land.
A true “great leap” would make room for a Tibetan role in economic development, protect Tibetan religious culture and identity, and welcome the involvement of the Dalai Lama in decision-making on Tibet’s future. Since 2002, there have been several rounds of dialogue between Beijing and the Dalai Lama’s representatives, following a decade-long diplomatic stalemate, but at present China’s commitment to the process is uncertain.


Tibet’s precious culture and religion, with its principles of wisdom and compassion and its message of interdependence and nonviolence, are rooted in the Tibetan landscape and Tibetan hearts. The survival of Tibetan Buddhist knowledge in its own land is vital for the world, as well as the Tibetan people. China’s journey toward greatness must not include the further destruction of this heritage.

Richard Gere, an actor, is the chairman of the International Campaign for Tibet.

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