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2008年12月31日 星期三

朗読者


小說中的Michael從學校回家途中,因身體突然不適受到Hanna的照料而發展為愛情關係。

某日Hanna突然不告而別,Michael成為法律系的學生在法庭上旁聽對納粹時代強制收容所的判決,意外與成為"被告戰犯"身分的Hanna重逢,而且就在當下Michael才知道Hanna是不會讀不會寫的文盲。

Michael將小說或詩集錄製成卡帶送給服刑中的Hanna聽,如同昔日為戀人所做的「朗讀」一般。

Hanna與Michael彼此年齡與身分地位的差距,透過「朗讀」的過程,讀者與聽者形同做愛一般將兩人的世界融合在一起,強烈確立彼此的存在,加深相互的情愛關係。

但是,當Michael以第三者的身分聽審判長「朗讀」Hanna的起訴狀,才得知Hanna是納粹戰犯。原來Michael對Hanna根本一無所知。

對於不是文盲的人們而言,究竟要使盡多少想像力才能理解「不會讀不會寫」的這個事實?雖然有人不善表達,人與人之間的溝通,語言成為重要的手段是不爭的事實。Hanna的一生,除了口頭的會話外,沒有別的方法將自己內心的感受或想法表達出來。如果不會閱讀文字,不僅無法做到書信的交流,甚至獲得知識和資訊的機會都被剝奪了。並且,如果不會書寫文字,自己的想法和感受無法藉由文字呈現出來——即意味這個人確實存在在這個世上,或者曾經存在的證據也都無法留下。


這到底意味著什麼?唯一可以揭開一件明顯的事實,就是閱讀與書寫對大部分的人而言,雖然已成了理所當然的事,但事實上讀與寫對我們的想像力並沒有太大的幫助。例如Michael來到納粹時代的強制收容所,他嘗試用他的想像力去想像那裡曾經發生過的大屠殺,但是徒然無功。

 Michael在知道Hanna的犯罪的同時,也想以法律人的角度審判Hanna的罪行。可是,Hanna所犯下的罪太可怕。越想去理解,越無法理性審判Hanna。如果將Hanna當作路人甲來審判,Michael就沒有重新認識Hanna的餘地。但是Michael是多麼渴望理解Hanna。


從前,獄中強制犯人要朗讀書本,Hanna也是要求當時還是少年的Michael朗讀書本,話說不論Hanna是寧願承受不白之冤,或是想要掩蓋自己是文盲的事實,Hanna按地下定決心學習文字的讀與寫也好的,被關進與世隔絕的監獄,某意義上,不得不說這就是Hanna會做的事。

今は大学の法学部教授である中年男の回想である。いきなり15歳の少年時代の話から始まるが、話し手は、それからもう何十年もたって、物語が完結した後の視点から、回想して話している。その時間感覚、時代感覚は、最初のうちはなかなかのみこめない。読み進むうちにだんだんわかってくる。それも作者の意図した謎なのかもしれない。

 15歳の時、学校からの帰りに、道ばたで気分が悪くなり、吐いてしまう。それを「乱暴といってもいい態度」で、介抱してくれた中年の女性。これがもう一人の主人公である。少年は黄疸だった。何ヶ月かの自宅療養でやっと回復し、外に出られるようになった日、少年は女のところへお礼に行く。物語の場所はどこにも明記されていない。ドイツのハイデルベルクと思って読んでさしつかえなさそうだ。

 少年に対する女の対応はきわめて無愛想だったが、彼はこの年上の女性(38歳だということが、いずれ分かる)に惹きつけられる。開いていたドアの隙間から、ストッキングを履く女の姿を「目を離せず」見てしまう。その体の動きに魅せられ、「この体の中で世界を忘れなさいと僕を招いているように感じてしまう」。性に目覚め始めた少年は、成熟した女に、はじめて女を感じ、そうした自分に戸惑ってしまう。

 そうしたシチュエーションに赤面して、思わず逃げ帰ってしまうが、一週間後また訪ねる。散々逡巡したあとで。女の家への訪問には、もう明らかに性の意識が混じっていた。そんな少年の気持ちは、男の子がある時期経験するもので、よく分かるし、なつかしい。少年の純真さと大人の世界へのあこがれとの板挟みになった心の時期。

 思い切って出かけたのに、女は留守である。集合住宅の上階である。その階段で帰りを待つ。そのひたむきな気持。そこへ帰ってくる女。着ている制服から、彼女は路面電車の車掌であることがはじめて分かる。相変わらず彼女はぶっきらぼうである。しかし少年の気持ちは彼女に通じる。

 「このために来たんでしょ!」 との言葉とともに、いつの間にか裸になっていた女に抱かれる。このとき、女は何を考えてそうしたかは、何も語られていない。この時だけではない。物語は、「ぼく」の物語であって、「ぼく」の視点でしか語られていない。おまけに女は寡黙である。何を考えているか「ぼく」にも分からない。「僕はいったい彼女の何なのか」という疑問を持ち続けて、それに答えの見つからないまま、付き合いを続ける。彼女の正体と、抱えていた問題が、やがて明らかにされたあとでも、このころの女の気持ちは分からない。ただ一つ、彼女は彼を身体で受け容れてくれた。そのことだけで少年には十分だった。

 それからは、彼女の早番、遅番に合わせて、学校帰りに彼女の家に寄り、毎日愛し合う仲となる。何日か経ってはじめて彼女の名前を聞く。それはハンナ。そして彼の名前を聞く。ミヒャエル。

 この現代の小説が、かつて馴染んだドイツ文学の伝統の中にあることが、私にはなつかしい。それは、「自省的」とでもいうのだろうか、自分の行動と内面の動きを見つめ続ける物語だという点だ。ゲーテの「若きウェルテルの悩み」、ヘッセ、カロッサのすべて。トーマス・マンの「魔の山」、そんな伝統につながっている。しかし、いきなり15歳の少年と38歳の中年女との性愛から物語が始まるのは異色だ。その後の物語展開は、もっと異色だ。しかし全体が、主人公の男の成長物語(ビルドゥングス・ロマン)であるというのは、やはりドイツ文学だ。

 語らいのほとんどない、性愛だけの生活に、ある時から言葉が入ってくる。それは「朗読」である。彼女と愛し合う前に、あるいは後で、学校で習っている文学作品やホメロスの叙事詩などを、彼女に朗読して聞かせる習慣が始まるのだった。これが「朗読者」のタイトルにつながる。ただこのときは 「坊や、あたしは自分で読むよりあんたが読むのを聞きたいわ」 とのハンナの願いを入れての朗読だった。いずれその理由と、それがハンナの一生の運命を左右した秘密に関係していることがわかってくる。

 朗読し、シャワーを浴び、愛し合い、それからしばらく一緒に横になる。これが15歳の少年と36歳の女との、もっとも幸せな時期だった。その延長の中で一緒に何日もの泊りがけの自転車旅行(母子として泊まる)にまで出かけている。少年は、人生の出発点に立つか立たないかのうちに、女への深い愛の虜になっていた。

 しかし少年に対するハンナの気持は分からない。愛であったのか。絶望的な人生の岐路を前にして、性愛に救いを求めていただけなのか。たまたま都合のいい少年相手だったのか。

 男はこう書いている。「ぼくたちは共通の世界に生きているのはなくて、彼女が自分の世界の中で与えたいと思う場所をぼくに分けてくれているだけだった。」

 やがて少年は、彼女が何かひどくプレッシャーを受けていること、苦しんでいることを感じるようになる。何か、わからない。そしてある日突然、彼女は姿を消す。

 愛の対象と、充実した生活時間の、突然の喪失は、耐え難くつらかったが、跡の追いようがない。その苦しさは時間が解決してくれて、少年は大学に入り、法学を専攻する。

 彼女の失踪から5年後。強制収容所の看守を裁く裁判 (アイヒマン裁判(1961)以降、アウシュヴィッツ関連の、たくさんの裁判が行われた、その一つだろう) をゼミの課題として傍聴に行き、そこで43歳になったハンナが被告として裁かれているのを見る。1960年代の半ばのことである。彼女は強制収容所の女看守だったのだ。男は、毎日のように裁判に通う。ハンナは硬い態度で裁判に臨み、男の傍聴を無視する。男もいまや彼女に何も感じない。淡々と裁かれる彼女を見続ける。被告席と傍聴人席との間に何の感情の交流もない。

 彼女の罪に同情もできず、さりとてほかの人と同じように非難をする気にもなれないまま、ただ一介の法学生として、この裁判の主題そのものにのめり込んでいく。すなわち、ユダヤ人絶滅計画という途方もないものの片棒を、それも組織の末端で担いだ人たちを、後の人間が裁くという問題。一方では正義と民族の責任感を感じ、他方では疑問と割り切れなさを感じていく。男は、自分をも、周りの観察者をも共通して一種の「麻痺状態」が捉えていることに気づく。その当時の当事者にも、彼らの行為を今裁判の場で聞くものにも、「強制収容所」という出来事は、人間としての現実感を失わずして耐えられるようなものではないことに気づく。彼もその「麻痺状態」のなかで彼女を見つめる。

 彼女、ハンナは、ジーメンスで働いていた21歳のとき、親衛隊の募集に応じ、強制収容所の看守になる。アウシュヴィッツやその支部組織で働いた後、戦況の悪化とともに、囚人たちを西へ移動させる途上、事件が起きたのである。囚人たちをある教会堂に泊めた夜、爆撃と火災で、囚人たちの大半が死んだ。その生き残りがアメリカで本を出版し、その夜の看守たちの対応が悪かったために、大災害となったと告発する。男の衛兵や看守は逃げ、女看守数人だけ取り残された状況でのどうしようもない事態だった。

 裁判はハンナにとって最悪の展開となる。彼女は自分の正当性を主張しようとしたわけではないが、事実歪曲には激しく反論し、正しくあろうとして、それにこだわりすぎ、悪い印象を与える。しかし、彼女は、下っ端として命令に従ったまでというような逃げをやらずに、積極的に罪状は肯定した。それをいいことに、他の被告たちは、彼女に全部の罪を押し付けた。彼女が、収容所で、若い囚人の中からお気に入りを作っていて、その子に、夜、自室で朗読をさせていたということまで、悪い方向の証拠になった。やがて、事故当夜の出来事の報告書のことが問題になり、その間違いだらけの報告書を書いたのがハンナだということにさせられてしまう。筆跡鑑定をしようということになったとき、彼女は突然態度を変えて、書いたのは自分だと認めてしまう。

 ある日曜日、野山への散歩の途中(野山への散策を愛好し、それを美しく叙述し、思索と自然とが混然とするところが、いかにもドイツ文学らしい)、男は、はたと気がつく。ハンナは読み書きができないんだ。しかもそれをひた隠ししてきた。それで彼女の奇妙な振る舞いが理解できると。このことがこの物語の鍵である。ヨーロッパには、結構文盲がいるらしい。貧しい国に育ち、他国へ流入したような人たちに特に多い。彼女もルーマニアに育ち、ドイツに来た。

 彼女は文盲だった。だから彼女は人に朗読させたのだ。読めないけれども読書はしたかったのだ。二人の間でメモが通じなかったり、不思議なことがあったが、これで氷解する。ジーメンスでの昇進を拒否して、親衛隊に入ったのも、少年の前から姿を消したのも(電車の車掌として字が読めないことがばれそうになった)、裁判前の取り調べで彼女に不利な調書に署名したのも、報告書を書いたと認めてしまったのも、みんなそれが原因だったのだ。彼女の一生は貧困ゆえの文盲のもたらした悲劇だった。

 彼はこの発見を裁判長に話しに行くべきかどうか迷う。父と相談する。この父は大学の哲学の教授だった。本人がそれでよしとしていることを、他人がお節介してはいけない、というのが、父の意見だった。彼はためらったあと、裁判長に会いに出かけるが、そのことを話せないまま、法律志望の若者としての世間話をしただけで帰ってきてしまう。

 裁判が終わり、判決が下る。彼女が罪を着せられ、無期懲役となる。他の被告は軽くすんだ。彼に特別の感慨もない。

 やがて彼には普通の日常生活が戻り、司法修習生の頃、同じ道を歩む女性と結婚する。娘一人を持ったが、5年で離婚する。妻と愛し合いつつ「何かが違う」という思いを消すことが出来なかったのが原因だった。男は、ハンナの失踪以降、そして裁判を経て牢につながれてしまった後では一層、彼女を遠い存在とみなそうとしたが、結局、生涯ハンナから解放されることはなかった。

 彼は、ハンナの裁判の苦い経験から、裁判官にも、弁護士にも、検察官にもなれないと自覚し、法制史の学者として身を立てる。

 彼女をとうに忘れていたはずのある日、急に思い立って朗読を始める。それをカセットに録音し始め、ずいぶん長い間ためらったあと、服役中の彼女に送り始める。彼女が服役して8年も経っていたときだった。それから始めて十年間、あくことなく朗読し、テープを彼女に送る。4年経ったところで彼女からメッセージが届いた。短いものだった。「坊や、この前のお話は特によかった。ありがとう。ハンナ」 彼女はたどたどしいながら書けるようになったのだ。感激的なシーンである。

 朗読カセットと短いメッセージの交換が続いた。服役18年で恩赦があり、彼女は出獄することとなった。ほかに身寄りがない。刑務所長から頼まれ、彼はハンナの社会復帰を助けることになる。彼はいつまでも朗読者という遠い立場でいたかったが、アパートと就職口を用意し、出所1週間前に彼女を訪ねていく。二十数年ぶりの対面である。彼女はもう一人の老女だった。短い会話を交わし、来週の出迎えを約束した。それが最後だった。

 出所の朝、彼女は首を吊り、自殺した。彼女の部屋には、彼が送り続けたカセットテープがきちんと整理されて残されていた。それに彼が高校を卒業したとき、何かの賞を校長から受けている彼の写真。どこかの地方新聞から切り取って大事にとってあったものらしい。彼女の彼に対する愛の形見みたいだ。

 それから十年経って、男はこの物語を書き始めた。一人の女性と関わって、50歳。いくつかのバージョンを書いたという。その一つがこれ。ほかのバージョンもありえたという。これはきっと、静かな諦観に満ちたバージョンのほうだろう。

 男の彼女への対応はもどかしいと、読者は感じる。18年間、いくらでも面会に行ってあげることが出来ただろうに。朗読テープに、個人的な気持を吹き込むことだって出来ように。彼女が字が読めるようになったことを知ったあと、どうして彼女に手紙を書かなかったのか(実際あとで彼女は手紙を待っていたことを知らされる)。しかし、一旦別れたあとの彼女は遠い存在だった。彼女は彼を拒否していると感じていた。それは分からなかったが。

 出所の朝、なぜ彼女は自殺したのか。彼と再び生活することをどうして拒否したのか。少年時代の彼との甘い生活、その後の贖罪の生活。それで自分の生涯は完結した。それ以上はいらないということなのか。

 ナチの時代とその戦後、歴史が個人の生活を大きく支配した時代だった。その片隅での悲しい、しかし凛として自分らの運命を受け止めた男と女の物語である。二人を、別の時代のもっと幸せな生活の中に置いてあげたいと思わずには、巻を閉じがたいが、それでは、この物語はない。

http://homepage2.nifty.com/aquarian/RecentBooks/Rctbk010121.htm

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