人はどう生きるべきか、人生の意味とはなにか。生とは? 死とは?
人為何活著?人應該如何生活?人生的意義是什麼?生是什麼?死是什麼?
――人の命はそんな疑問や懊悩とはまったく無関係に生まれ、翻弄され、そして消える。
人的生命,與這樣的疑問和苦惱毫無關係,就這樣被出生、被被捉弄,然後消失。
若い頃の一時期、哲学書を数冊かじっただけでいい気になっていた私は、そうした疑問に思いを巡らせ、答えを得ようとやっきになっていたことがある。
自分に人生の意味を問うには遅すぎる時がやってきて、ようやく少しだけわかってきた。
人の肉体はなぜ生きているのかなんて考えてはいない。
心と心臓は別の場所にあり、脳は精神の苦悩とは無慈悲なほどに無縁に、ひたすら機能的に動いている。
まぁ、しかたない――最近の私はひとりごとでそんな言葉ばかり口にしているのだが――しかたない。
生きられるだけ生きよう。いまはそう思っている。
記憶を失い、人格が崩壊してからの私が、生きていると言えるなら。
如果可以說丟失記憶,人格崩潰之後no我,生活著。
人の死は、心臓の停止した瞬間に訪れるのか、それとも脳が機能を失った時からなのか、その論争に関していろいろな話を聞かされてきたが、記憶の死はどうなのだろう。
記憶の死だってイコール人の死ではないのか。
人的死,是不是在心臟停止的瞬間才來造訪? 還是腦部機能尚失(腦死)能才開始?有關這方面的爭論已經聽了各種不同的意見,不過,記憶之死,又如何? 記憶之死,是否等於人之死?
記憶が消えても、私が過ごしてきた日々が消えるわけじゃない。
私が失った記憶は、私と同じ日々を過ごしてきた人たちの中に残っている。
不思議なものだ。頭は記憶を失っても、体には記憶が残っている。私にはまだ動く指がある。動かせるうちはだいじょうぶ。私はちゃんと生きているのだ。
自分の病気も、もう恐れはしなかった。私自身が私を忘れても、まだ生命が残っている。そのことを初めて嬉しいことだと思った。
記憶が消えても、私が過ごしてきた日々が消えるわけじゃない。
人的記憶消失,一路生活過來的日子並沒有因此消失。
我失去了的記憶,還留在日日與我一起生活的人們當中。
真是不可思議!頭腦失去記憶,但身體還殘留著記憶。我還有會動的手指。讓手指活動這件事還不成問題。我好好地生活著。
對於自己的病,已經不再畏懼。雖然我會忘記自己,但生命還留著。
我第一次對這件事感到高興。即是記憶消失,但我一路生活過來的日子並沒有因此消失。
以前介護研修の際、若年性アルツハイマー症を患った方の講演を聞かせてもらったことがあります。
その方も50代半ばで物忘れが酷くなり、病院に受診したところ若年性アルツハイマー症と診断されたそうです。
それまで、認知症やアルツハイマーなどは記憶障害や徘徊行動、妄想などといった症状を来し、本人は何をしたのか分からない状態というようなことしか想像していませんでした。
しかし、この講演を通して、記憶というものがいかに人間にとって大切なものかということを実感することが出来ました。
記憶があるからこそ人は生きていくことが出来る。
行動するということは全て記憶を元に行うことができるため、次第に記憶を失っていくと、例えば「ご飯を食べる」という行動・行為をとっても、
箸の使用方法は?→ご飯をどのように食べるのか?
ご飯?→生きるために必要な栄養摂取?
ご飯を食べるために必要な道具の使用方法が分からなくなり、何故ご飯を食べなければならないのかという食事をする必要性というものまでもが失われてくるそうです。
正因為有記憶人們才能活下去。
所謂人的行動,完全根據記憶在進行,要是逐漸失去記憶的話,譬如「吃飯」這個行動·行為,筷子的使用方法?飯要怎麼吃?
米飯?→是為了存活必要的營養攝取?
失去記憶,意謂將會忘記吃飯所必需的道具的使用方法,為什麼非吃飯不可的理由,完全失去攝取食物的重要性的認知。
そして、何よりも怖いのが自分が過ごしてきた日々を忘れてしまうということです。
妻と旅行に行き、そこで感じた喜びも時間と共に消失してしまう。
妻は何も言わないが、自分が気づかないうちに妻に酷いことをしているんじゃないかとも感じるそうです。
でもこの方も今という瞬間を一生懸命に生きていました。
妻の支えがあり、共に生きている姿に涙した講演でした。
怖かったのだ。記憶を失ってしまうのが。記憶の死は、肉体の死より具体的な恐怖だった。
太恐怖了。失去記憶這件事。記憶之死,是比肉體之死,令人感到更具體的恐怖。
恐ろしかったのだ。記憶を失いつつあとことを他人に知られるのが。
よけいな涙は現実逃避だった。
人がものを忘れるのは、脳を活性化させるためである。
人は忘れることによって情報を取捨選択し、頭脳を新陳代謝させる。
忘れることがなければ、幸福も希望もない。
人的健忘,是為了讓腦部活化。
透過忘記,人們篩選資訊,讓頭腦新陳代謝。
如果無法忘記,也就沒有幸福和希望。
記憶の欠落が多くなるにつれ、私は以前より人の表情に敏感になった。
記憶の巨大な空洞の前でだじろぎ、傷ついたプライトと闘っている。
牢獄と化した肉体の中で精神が助けを求めているはずだ。
隨著記憶退化的加速,對於人的表情,我比起以前變的更敏感了。
在記憶巨大的空洞面前與jirogi,受傷了的puraito作戰著。
正在與成了牢房的肉體博取精神上的幫助。
アルツハイマーは単に記憶が損なわれていくだけの病気じゃない。人格も失われていくのだ。父もそうだった。温厚な人だったのに理由もなく怒り出したり、わけもなく人を疑うようになった。正月に帰ったときも、母や義姉が飯を出してくれないと、食器を片付けたばかりのテーブルの前で私に何度も訴えた。家に長くこもるようになってからは、目の光と、声の張りと、表情を失った。
施設に入るより自宅介護のほうが症状を抑制できると言われたにもかかわらず、父は急速に悪化していった。義姉に続いて孫たちを忘れ、私や兄や自分の亡くなった妹の名で呼びかける。他人だと思って鏡に映った自分に話しかける。病的な洗顔が治まったと思ったら、逆に入浴も着替えもしなくなり、大小便を垂れ流すようになった頃には、兄は昔の戦友になった。最後は母も忘れ、毎朝起きると、同じ部屋にいる母の顔を不思議そうに眺めて、「あなたはどなたですか?」と声をかけていたそうだ。
75歳で亡くなったときの直接の原因は、急性肺炎だったが、私は知っていた。もしあのまま体に不調がなかったとしても、数年後にはアルツハイマーによって命を奪われていただろうということを。父が発病したのをきっかけに知り得たことがいくつかある。そのひとつは、アルツハイマーが、死に至る病だということだ。言葉や思考に続いて体の機能も奪われていく。体が生きることを忘れていくのだ。
体が生きることを忘れていく、なんという症状だろうか、読んでいて恐ろしくなってしまった。意識があるうちから次第に自分の記憶が怪しくなり、最初は誰もが物忘れが激しくなったことを自分が歳を重ねてた性だと納得させたがる。それをアルツハイマー型認知症が原因です、という診断が自分に対して下されたときに、果たして受け入れることができるのだろうか?
この小説では若年性アルツハイマーということで診断された主人公はまだ50歳という若さである。古今、日本の長寿は世界に広く知れ渡ることとなっていて、人生80歳まで生きることはもはやノルマとされる。この主人公の男性は50歳というまだまだ現役で働いている自分の期待を裏切り、自ら決断、アルツハイマーという病を受け入れるまでの葛藤がリアルに描かれていて、こうまで人間という生き物が変わってしまうのかという現実に驚いた。
自意識が働いていて自分の記憶が曖昧なうちはいいけど、その意識の錯覚が自分の記憶のないところで起きだしたときに、アルツハイマーは患者周囲の介護する側への負担へと変わっていく。
長年一緒に暮らしてきた家族が変わっていく様を見るのは非常に辛いことであろう。ましてや、相手が人生を共に生きてきた自分を忘れて認識できなくなるときの悲しみは想像することができない。
他人に認識してもらいながら生きていくのが人というならば、家族という最も身近な存在から安心感を得ることができなくなる。それでもかつての記憶や一緒に暮らしてきた年月という愛の蓄積ゆえに介護を施す家族たちの心の葛藤は、現在の医療技術では完璧に治すことができないアルツハイマーと向き合っていくには希望が少なすぎる。
自分が絶対にアルツハイマーにはかからないという自信も大事だが、もしかしたら身近な家族の存在の中から患者が発生してしまうとも限らない。そのときのためにも万が一という知識を知っておくことは人々が毎日の生活を生きていく上で、自分を律するための手助けとなるであろう。
たとえ私の寿命がまだまだ続いたとしても、一緒にいられる時間がたくさん残されているわけじゃない。
大切なものを拾おうとするように、床を這ったまま割れた皿の破片と千切りキャベツをかき集めている枝実子の背中に、どんな言葉をかけていいのかわからず、私はずっと前から言おうと思っていたセリフを頭の隅から引っ張り出した。
「もういいよ、俺のことは。お前はまだ若いんだから、俺がいなくなってからのことを考えろ」
「何それ? 安っぽいドラマみたいなこと言わないで。言われる身にもなってよ。こっちには最終回なんかないんだから」
枝実子が声をあげて泣くのを聞いたのは、いつ以来だろう。たとえ病気でなくても覚えていないほど遠い昔のはずだ。
一緒にいられる時間がたくさん残されているわけじゃない、という意味を実感できるだろうか? たとえ生命上は生きていても全く他人を認識できなくなる。自分が知っている、または知っていた家族の一員が他人のように振舞う、自分たちを認識しなくなる。
一緒にいられる時間というのはアルツハイマー患者が記憶をなくしていく前の健康状態の内に、という意味なんだろうけど、当然患者本人は自分の意識がしっかりしているうちに、自分が自分でない状態になったときの家族側の対応を心配する。これが独りよがりの身勝手な決断に、この小説の主人公の妻は勝手に自分たちの生活空間を投げ出してしまった夫に対して怒りを顕にしたのだ。
まして私の場合、明るい未来はどこにもない。しかし、枝実子のことを考えるとそうも言っていられなかった。アルツハイマーの症状は、しだいに患者本人の苦痛ではなく、介護する人間の苦痛になっていくのだ。
このまま症状が進むと、記憶障害や随伴症状だけでなく行動障害が起こるようになる。例えば、徘徊。私の父の場合、これが酷く、母や兄や義姉は毎日のように道に迷った父を探し歩いていた。異食。味覚や臭覚が狂い、食べ物とそうでないものの区別がつかなくなる。石鹸を齧ったり、観葉植物を口に入れたり。本人は高級チーズや新メニューのサラダを食べているつもりなのだ。
失禁。排泄。10年前にはまだ大人用のおむつが今ほど普及していなかったから、父は母の縫ったサラシを使っていた。不潔行為。「汚い」という感覚が麻痺する。あるいは喪失する。入浴を嫌がったり、同じ服を着続けたり、排泄物を平気で掴んだり。考えただけで、体が震えてくる。つまり私が私でなくなっていくわけだ。私には自分が人ならざる怪物に変わってしまうように思えてならない。
「どうだ、今月中にでも、一度さ。次の土日は? 俺、ひさびさに丸々2日間休めるし。よさそうな場所を探しておくから」
「遊園地へ行くみたいな言い方しないでよ。私は嫌」
枝実子は意地になって首を振るが、排泄物を垂れ流し、それを異食しようとする私を見ても、やはり首を振ってくれるだろうか。
アルツハイマーや認知症というのはどうしてこんなに発生するようになったのだろう? 先進国特有の病気なのだろうか? 発展途上国のようなところでも発生しているのだろうか? 軽はずみなことはいえないにしても、どうも社会が、世の中が便利になりすぎて、人が歳をとってからの楽をしたい、他人に政府に面倒を見てもらいたい、甘えたい、寄りかかりたい、という生活態度などと関係しているように思えてならない。
自分が引退したら政府が面倒を見てくれるという制度などは、生活保障や税金という制度が始まる前には存在しなかった希望だろう。
そのような気持ちの上での油断が歳を重ねると共に主体的に生きることを自発的にしなくなりその結果脳細胞が加速度的に衰えていく、という気がしてしまうのである。
50歳からの人生をどのように生きるのか? 仕事を引退した後の積極的な自分の人生を創造できるか? この小説の中でも書かれていたけれど今の時代、精神年齢は実際の年齢の8かけ、というところが調度いいらしい。
40歳以降の人生を設計して生きていくことは我々現代人の選択肢が増えたことを喜ぶべきなのか、それとも自分の居場所を確立していくためのもがきの始まりなのだろうか?
記憶がいかに大切なものか、それを失いつつある私には痛切にわかる。記憶は自分だけのものじゃない。人と分かち合ったり、確かめあったりするものでもあり、生きていく上での大切な約束ごとでもある。
「多幸表情ですね。アルツハイマーの特徴のひとつです。どうしてああいう表情になるのかは、先生方にも確かな理由はわからないそうです。不思議ですよね。あの方、しっかりしているのはほんの短い間だけで、普段は自分が嫁入り前の大切な体だって言って、ヘルパーたちが排泄介助をしようとするだけで騒ぎ立てるのに。あの顔をみていると嘘のようです」
老婆の患者服の下半身はおむつの形に盛り上がっている。介護スタッフではないらしい事務係長だというこの中年女性はどこまで理解しているのだろう。私にはなんとなくわかる。
老女は笑った顔の下で泣いている。つかのま現実に目が覚めたときには、記憶の巨大な空洞の前でたじろぎ、傷ついたプライドと闘っている。牢獄と化した肉体の中で精神が助けを求めているはずだ。
記憶が消えても、私が過ごしてきた日々が消えるわけじゃない。私が失った記憶は、私と同じ日々を過ごしてきた人たちの中に残っている。
記憶というと誰もが主体的に捉えてしまいがちだが、客観的な自分に対しての記憶というものは自分が消えてしまっていくときの、楽観的な希望かもしれない。
確かユダヤ人の教えだったと思う。「お前は自分が生まれてきたときに周りの多くの人が微笑み、お前一人泣きじゃくっていたんだよ。だから、今度お前が自分の人生を全うして死ぬときには、自分は微笑んで周りの多くの人が悲しむような人生を送りなさい!」
現在、認知症患者は、右肩上がりで増えています。昔と今のライフスタイルや、食習慣が変わってきている、ということも影響しているのだと思いますが、今後も患者は増え続けると思われます。高齢者世帯(高齢者が世帯主の世帯)を分母にすると、認知症の人は今、6世帯に一人くらいですが、一番人数が増えると予想されている27、28年後には4世帯に一人くらいの割合になります。決してまれなものではなくなってきていますし、早く診断、発見できれば決して怖いものではありません。そういうことをきちんと理解した上で、自分の健康管理をしっかり行う。
そして、病気とどういうふうに付き合っていけばいいのかを考えていく時期が来ていると思います。(本間昭精神科医)
人はなぜ生きるのか、
Neprilysin
多倒垃圾免得老年痴呆——阿滋海默症新研究(林彥宏 文)
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