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2008年11月8日 星期六

昭和恐慌的記憶

歷史給我們的唯一教訓,就是人類並沒有從歷史得到教訓。

2008年的全球金融海嘯叫人喚醒發生於1929年的經濟大恐慌的記憶。

就在西方的美國發生了經濟大蕭條的同時,東方的日本也發生昭和恐慌。而發生於80年前的金融風暴與今年掀起的金融海嘯,其相似度太高,不得不讓日本人開始感受到“昭和恐慌”的惡夢是否再次造訪。

由於經濟持續強勁增長及日元升值的支撐,日本股市在1984年初突破10000點之後,走出了一波令人炫目的大牛市行情。至1989年12月29日,日經平均指數達到其歷史最高點38915點。

在當時,幾乎所有的日本人都堅信股價只漲不落、地價只升不降的大和神話。1990年初,《日本經濟新聞》在對20位著名企業家進行股市預測時,大家一致樂觀地認為1990年的股指將繼續上衝至42000-48000點。

但是事與願違,隨著日本泡沫經濟的破裂,1990年4月2日,日經平均指數暴跌至28002點,從此踏上了長達十多年的漫漫熊途。

2003年4月日經指數最低跌至了7607.88點。盡管近年來日本經濟呈現復蘇跡象,但日本股市目前也不過在16000點徘徊,只相當於最高峰時的43%。今年全球股市慘跌,日本股市當然無法倖免,10月27日的東京股市的日經平均指數跌至1982年10月以來最低點,以7,162點收盤,跌幅6.36%。

“昭和恐慌”

發生於1927年的那次大恐慌也被稱為“昭和金融恐慌” ,由於那次恐慌對當時日本經濟造成前所未有的深刻打擊,因此至今令人談虎色變。

當初,直接受到金融恐慌打擊的,主要是東京和橫濱附近的二流地方銀行,由於那時震災期票不能兌現,使得37家小銀行因無法周轉“頭寸”而不得不相繼宣布“休業”。
300萬人失業率,身價高的大學畢業生找不到頭路,農作物滯銷之餘,還要遭受凍災和欠收的大打擊,吃不飽的兒童劇增,男生小學一畢業就要出去找工作,女孩被出售的現象氾濫,日本陷入危機之中。


http://ja.wikipedia.org/wiki/昭和恐慌

<歷史重複上演同一齣戲碼 : 金錢遊戲>


尋求新的利機→投機的手段→熱錢湧進→金融秩序大亂→經濟泡沫化→價格崩盤→大蕭條→


2008年9月29日~10月27日期間與1929年大蕭條時期 美國股市走勢對照圖

1929年大蕭條 : 投機股市與土地→土地泡沫化→股票大跌(黑色星期四)

2008年股市崩盤 : 二次房貸→房地產泡沫化→全球股市暴跌


1933年有 1,283萬人(24.9%)失業
2008年有974萬7千人(6.1%)失業。

1929年的經濟大蕭條
股價暴跌 美國89.2% 日本50./4%
損失金額 美國300億美元(國家預算的10倍) 日本25億3500萬(國家預算的1.7倍)
銀行倒閉家數 美國6,000 日本1,300

經濟大蕭條時代,銀行門口排滿擠兌人潮。

經濟大蕭條時代,日本小學生一畢業就出外找工作。

失業者擠爆收容所。

欲出售女兒者,請至詢問處。

日本大蕭條時代,有1,500名女孩被家人出售。

歷史給我們的唯一教訓,就是人類並沒有從歷史得到教訓。

是消費券?是量票?
您政府絕對會給我們經濟大衰退的全新感受!

各国協調、実行は素早く 生かせ世界恐慌・日本の教訓
「100年に1度」とされる金融危機に直面した世界経済は、このまま長期低迷に陥るか、危機を脱することができるかどうかの、瀬戸際に立たされている。危機対応の“反面教師”として常に引き合いに出されるのが、1929年のニューヨーク株式市場の暴落を引き金とする世界大恐慌と、90年代の日本の金融危機だ。いずれも過剰な投機ブームで膨れあがったバブル経済が崩壊し、適時適切な政策対応がとられなかったことで、経済は深刻な長期不況に陥った。15日閉幕した緊急首脳会合(金融サミット)は危機脱却に向けた諸施策を打ち出したが、各国政府は過去の教訓を生かして具体策を迅速に実行に移すとともに、一層の国際協調を図ることが求められている。

 ≪住宅バブルの崩壊≫

 日銀の白川方明総裁は今月、都内で開かれた講演会で「国際金融資本市場では、現在、1930年代以来、経験したことのないような動揺が続いている」と述べ、世界経済の現状に強い懸念を示した。

 今回の金融危機の原因をたどると、2001~05年にピークをつけた米国の「住宅バブル」に行き当たる。01年9月の米中枢同時テロ以降、景気後退を警戒したFRB(米連邦準備制度理事会)が積極的な利下げによって緩和的な金融環境を維持する中、金融機関は住宅ローンの融資を積極的に拡大し、住宅価格が右肩上がりで上昇するバブルを醸成した。

 その中でも特に伸びが目立ったのが、信用力の低い借り手に高金利で貸し付けるサブプライムローンだった。たとえ金利が高くても、住宅価格が上昇する限り、ローンで購入した住宅を高値で売り抜けてもうけることができる。そんなソロバンを弾いた借り手に対し、金融機関は貸し込み続けた。しかし、住宅バブルがはじけたとたん、多額のローンが焦げ付いて不良債権化。さらに、金融機関はサブプライムローン債権を細分化してさまざまな証券化商品に組み込んで世界の金融機関に転売していた。これが事態を悪化させ、世界に影響が広がった。

 「(今回の金融危機は)結局、昔から繰り返し発生している古典的なバブルの発生・拡大と崩壊であるように思う」。白川総裁はこう指摘する。

 ≪大恐慌との類似点≫

 世界規模の危機という点で比較されるのが大恐慌だ。「暗黒の木曜日」と呼ばれる1929年10月24日のニューヨーク株式市場の暴落を発端に、不況の波は世界に広がった。米国では、米ダウ工業株30種平均が同年9月の381.17ドルから、32年7月には41.22ドルまで下落。景気の底だった33年のGNP(国民総生産)は29年の3分の2の水準まで落ち込み、4人に1人が失業するほど雇用情勢は悪化した。

 今回の危機と大恐慌には類似点が多い。株式や住宅などの資産価格が暴落して金融機関の自己資本が毀損(きそん)し、家計も消費を減らす「逆資産効果」が働いた構図はまったく同じだ。バブル崩壊の一因に、景気過熱を抑制しようとしたFRBの金融引き締めがあったことも共通している。また、いずれも手元資金の何倍も借金をして投資する「レバレッジ(てこ)」取引が、反対売買で取引を終了する急速な巻き戻しで傷口を広げた。

 ただし、危機に対する政策対応には違いが目立つ。今回は日米欧が協調して資金供給を拡大し、利下げにも動いたが、大恐慌では当初、国内の資金供給量が金保有量で制約される金本位制の縛りがあり、柔軟な金融政策運営ができなかった。フランクリン・ルーズベルト大統領が金本位制を停止し、積極的な金融緩和に踏み切ったのは33年だ。

 ルーズベルト大統領は公共事業を柱とする「ニューディール(新規まき直し)」政策で景気のてこ入れも図った。前任のフーバー大統領が財政出動などの経済対策に消極的で景気悪化を増幅させたためだ。一方、今回は、すでに日欧が景気対策に乗り出し、米国は追加対策を視野に入れている。

 国際協調の面でも違いが顕著だ。大恐慌時、各国は関税引き上げなどの保護主義に走り、世界経済は縮小した。今回は金融サミットなどを通じ、危機克服に向けて歩調を合わせている。

 ≪失われた10年再び≫

 大恐慌時に比べて、現在はグローバル化が進み、世界経済の連動性が格段に大きくなっている。それだけに、難局を乗り切るには国際協調体制の一段の強化に加えて、ダメージを他国に広げないよう、迅速に対策を進めることが不可欠だ。

 これは日本の金融危機の教訓でもある。

 80年代後半、日本は不動産や株式投資が過熱してバブルが膨張、90年に破裂した。不動産関連の融資を膨らませていた金融機関は巨額の不良債権を抱えて資本不足に陥り、貸し渋り・貸しはがしが横行した。実体経済は急速に悪化したが、政府は事態を過小評価し、不良債権の抜本的な処理を先送りした。この結果、97年11月に金融機関の破綻(はたん)が相次ぐ金融危機が発火。日本経済は「失われた10年」と呼ばれる長期低迷を余儀なくされた。

 今回の危機対応でも対策が後手に回れば、世界規模の「失われた10年」が現実味を帯びることになりかねない。(本田誠)

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